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**非常に甘い保守ネタです。** ☆0.ファーストXXXX 果てしなく続く空を見上げて共に笑いましょう。 手を繋ぐよりも近く抱き締め合うよりも遠い。 あなたはそんな存在でいて下さい。 ファーストキスはレモンの味って言うけど、どうだったかしら? 灰色の空の下で初めて交した唇は少しかさついていました。 (それが全てのはじまり) ――――――― ☆1.喫茶店 喫茶店を出た後にいつもの様に下らない口喧嘩。 それに終止符を打つのはいつもあんたで。 ほろ苦いコーヒーの薫りが唇に乗ってあたしまで運ばれる。 あたし、苦手なのよ。コーヒーって。なんか苦いじゃない。 でもあんたから貰うコーヒーの薫りは嫌いじゃないのよね。 何故かしら? (これが恋するということ) ――――――― ☆2.指 「キョンくんの指って綺麗ですね」 オセロを指すキョンの指を見つめてみくるちゃんが言った。 まーあキョンったらデレデレしちゃって。朝比奈さんの指だって白くて可愛らしくて…だって。 あったりまえでしょ!?みくるちゃんはあたしが見つけてきたスーパー最強萌えキャラなんだから! …まあキョンの指が綺麗なのは否定しないわね。 少し骨張ってて、薄くも厚くもない皮が何とも言えずにいいのよね。 何よ。何ニヤニヤしながらこっち見てるのよ。 何か面白い事でもあった? 顔が赤いのはちょっと上せちゃっただけなんだから! (その指が唇をなぞる瞬間を思い出してしまったなんて、言えない) ――――――― ☆3.不毛な喧嘩 「なあ、ハルヒ」 「なによ」 いい加減こっちを向いてくれないか、と言おうとして、やめた。 そんな事を言ったって無駄だろう。 背中の紫色のオーラが目に見えるようだ。やれやれ。 「だからそれは俺が悪かったって」 素直にごめんと言えないのは俺のほんの少しの抵抗だと思ってくれ。いや本当に。 しかしこれ以上機嫌を損ねたら、明日古泉の顔を見るのが怖いな。あいつは今も赤い球になってせっせと働いているのだろうか。 仕方ない、か。 パイプ椅子に沈んでいた重い腰を持ち上げる。 そして、 「ちょっと、それずるくない?」 真っ赤にしたハルヒの顔を愛しく思うのさ。 (翌日、古泉に聞いたらバイトは入っていなかったらしい) ――――――― ☆4.ペットボトル 「飲む?」 と差し出されたミネラルウォーターのペットボトルの口を思わず見つめてしまう。 するとエロキョン、とハルヒに殴られた。 外から太陽がジリジリと俺達の肌を焦がす。 正直、喉は嫌って程乾いている。 しかし、その差し出されたペットボトルの口は先程までハルヒのそれとディープキスを交していたわけで、俺がこの水を飲むという行為は所謂、 「間接キス」 OK。そうだ。そういうことになるな。 「別にいいじゃない。いつも直でしてるんだし」 おい、ハルヒ。そういうことを大声で言うんじゃありません。 皆こっち見てるじゃねえか。 谷口、お前は後でシめる。 「だから、はい」 そんな5月の終わりの午後。 (間接キスも真っ赤な顔を背けられたら、いつもよりも緊張してしまう) ――――――― ☆5.自転車とあなた 「スピード!落ちてるわよ!」 「んなこと言ったってキツイんだよ!」 あたしを乗せたキョンの自転車は坂道をゆっくりゆっくり進んでいく。 口ではこう言ってるけど、これ位があたしに丁度いい。 だってその分この時間を長く楽しめるじゃない? でも恥ずかしいから絶対言わない!絶対口には出さないの。 キョンの額に汗が光る。 ああ、今日も暑くなるわね。ご苦労様。 あたしはそのお礼に頬に一つキスを落として素直に言えない「ありがとう」を表現するの。 直後、あたしを乗せた自転車が盛大に転んだのは神様しか知らない。 (素直に言えないアイシテルも一緒に) ――――――― ☆6.軋むベッドの上で ふと、目が覚めて携帯を手に取る。 午前1時。 もう、そんな時間なのか。 トイレにでも行こうと身体を起こそうとすると左腕に鈍い重みを感じた。 覚醒しきっていない頭をフル回転して思い出す。 ああ、そうか。今日はハルヒが泊まりに来ていたんだっけ。 ハルヒを起こさないように体勢をほんの少しだけ変えて、眠るハルヒの顔をまじまじと見つめる。 月明かりに照らされるそれは、まさに落書きしたくなるほど様になっていた。 流石に落書きをしてしまうと明日の朝が怖すぎるので止めておこう。朝からプロレス技をかけられるのは勘弁だ。 その代わり、起こさない程度にキスを落としてやる。 髪から耳、頬、そして首筋へと。 ハルヒが起きていたという事実を知るのは、また後日の話。 (これもある種の閉鎖空間) ――――――― ☆7. おはよう! おはよう! 通い慣れた坂道であなたの背中を見つけて走り出す。 何故だろう。昨日は眠れなかったのに清々しい気分ね。 思いっきり背中を叩くと疲れた様に振り返る。 ちょっとその反応は無いんじゃない? 聞いて!昨日は悪夢を見たのよ。 あんたはいい夢見れたのかしら? (いつぞやのファーストキスの相手は貴方だというのは内緒だけど) ――――――― ☆8.欲求不満ラプソディ ハルヒは求め合うようなキスよりも鳥の雛のみたいに啄ばむようなキスが好きらしい。 あいつは案外少女趣味なのだろうか。部屋とか行ったら少女漫画とかがズラーッと置いてあったりしてな。 いや、無いか。 俺もどちらかと言えばそっちの方がシアワセって感じで好きなのだが、何て言うかな。うん。 そこは男のサガってやつで、でもそれをハルヒに言うとぶん殴られるから言わないけど。 正直欲求不満。 次は我慢出来そうにも無いけどいいっすか? (その唇に常に恋してる) ――――――― ☆9.映画とポップコーン たまには映画でも観に行くか、なんて柄にも無いこと言ってみたりして。 下心があるんじゃない?なんて眉根を寄せて睨むなよ。下心以外に何があるんだ。 何を観ようか。SFか?アクションか?それとも歴史スペクタクル? 恋愛ものとか久しぶりに観たいかもってそっぽを向いて窓の外を眺めるハルヒ。 下心があるのはお前じゃないのか? (心のどこかで映画よりも素敵なキスを望んでる) ――――――― ☆10.宣誓 さあ、神に向かって誓いなさい! あたしの手を一生振りほどかないって。 あたしの手を一生離さないって。 真剣な目と目で睨めっこ。 どちらが先に吹き出すのかしら? 絶対に負けない!あんたも案外負けず嫌いね。 でもそうね。笑う時は一緒がいいわ。 喧嘩は思いっきりしましょう。 けどあたしが泣いてる時はそっと頭を撫でて欲しいわね。 あんたのゆっくりと落ちる瞼に合わせてあたしの視界もブラックアウト。 唇が触れるまで後5センチ。 (宇宙最大の祝福の中であたしは不思議よりも大切なものを見つけた)
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(虫成分が含まれます。苦手な方は回避願います) その夏、キリギリスのハルヒは、山で海で、全力で遊んでいました。 そうこうしていた、ひときわ暑い日、知り合いのアリが荷物を運んでいるのに出くわしました。 「なによ、キョン、あんた汗だくじゃないの! 真夏の炎天下に力仕事なんかして、熱射病で倒れても知らないからね!」 「なんだ、ハルヒか。おまえこそ、大丈夫なのか?」 「なによ、夏休みの宿題なら最初の3日で終わらせたわ。後の憂いなく、思う存分遊ぶためにね!」 「そうじゃなくて、冬の食料のことだ。夏のうちに食べ物を蓄えておかないと、あとで大変だぞ」 「そんなの、なんとかなるわ。あたしは今の瞬間を思いっきり生きるの!宵越しの金を持たない江戸っ子よ!」 「おいおい」 「だいたいね、この不景気に貯蓄なんてしてどうすんのよ! 世の中にお金が回らなくなって、ますます不況になるわ。デフレ・スパイラルよ。そもそも貯め込んでる連中は消費性向(所得のうち消費に回す割合)が低くて、毎日かつかつで生きてる人の方が高いのよ。だから富裕層にお金が集まり、貧富の差が拡大すると、社会全体の平均消費性向は低くなるってアーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher, 1867年〜1947年)も言ってるわ。すると、社会全体の消費は減退、モノが売れなくなって不況へまっしぐらよ! さあ、キョン、その米倉を開いて、町中の人たちに分け与えなさい!」 「おまえは、どこの米騒動だ? だいたいな、おまえの理屈だと、最善の社会は、なるべく多くの人間を貧者にして、そいつらに生活できるぎりぎりの金を配って、社会全体の消費性向は100%に限りなく近くするのが良い、ってことになるぞ。しかし、そんな世の中で、誰が働くんだ? 誰が生産性を高めるための投資をする? その資金はどうやって調達する? おまえは消費のことばかり言ったが、だれかが生産しないと、生活費をもらったって、生活に必要なものが買えないんだぞ。多分、金あまりモノ足らずで、インフレになる。だいたい儲けがないと、誰も働かないし、儲かる可能性がゼロなら誰も投資なんてしない。そんな社会はまずいと思うぞ」 「もう、うっさいわね。あんたときたら、あーいえば、こーいうの典型なんだから」 そうこうするうちに、やがて夏がおわり、秋が来ました。 キリギリスは、ますます陽気に遊んで、歌なんかも歌っていました。 けれど、とうとう、さむいさむい冬がやってきました。 野原の草はすっかり枯れ果て、キリギリスの食べ物は1つもなくなってしまいました。 「ああ、おなかがすいたわ。そうだ、キョンのお弁当を横から食べる、というのはどうかしら」 こうしてキリギリスは、蟻たちが暮らすマンションにやってきました。中に入るには、部屋番号を指定して、インターホンっで相手と話して、中からオートロックを解除してもらわなくてはなりません。 「ねえ、キョン、いる?」 ……… …… … 「しかしですね、夏に遊んでいたものをホイホイ助けていると、大きなモラル・ハザードとなりますよ。どうせ国がたすけてくれるのだからと、経営努力しない銀行が増えてしまうようなものです」 といってるのは、今回、出番がこれだけの古泉アリでした。 「そんなことは、わかってる。だがな、だからと言って放っておけるか!」 アリのキョンは外に飛びだし、キリギリスのハルヒを抱え上げました。 「うわ、突然、何すんのよ、キョン!」 「こら、暴れるな。こんなに体、冷やして。なんか温かいものでも食わせてやる」 アリは自分の体重よりも重いものを楽々運べるのです。運ぶのは、だいたいは「食べ物」なのですが、ここは深く考えないでおきましょう。わからない人は大人の人に聞いて下さい。 こうして、キョンをハルヒを中に入れました。 「あんた、よかったの? ほかのアリから、いじめられない?」 「そんな連中じゃないさ。あいつらが言うことが正しいのは俺だって分かってる。だからといって、死にそうな奴を放っておくのも違うと思う。それだけだ」 「……キョン」 「ん、なんだ?」 「あの、その……ありがと」 その後、ふたり(?)は末永く幸せに暮らしました。 「ちょっと、待って。キョン、あんた、働きアリでしょ? 性別から言うとメスじゃないの?」 「それをいうならハルヒ、キリギリスで歌うのはオスじゃないのか?」 「「……なら、いいか」」 こうして、ふたり(?)は仲むつまじく暮らしました。 「すまん、ハルヒ。おれはメスだが生殖機能がないから、おまえの子を生んでやれん」 「バカ、あんたがいれば、それで十分よ! そんなことより、だっこしなさい、6本の腕で!」 こうして、ふたり(?)は末永くバカップルに暮らしました。 「こら、キョン、どこ触ってんのよ!」 「後ろ足の発達したこのあたりが……」 たのむ、おわってくれ。
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古泉「……おっと、そろそろ保守の時間ですね。『●<バイショォオオオオオオオオオオオオオ!!!!』、書き込み…と」 古泉「さて、投下がないかリロード…と」 古泉「……ん?」 172:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage]2007/10/02(火)04 52 03.24 ID HO/shuh0O 保守 173:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage]2007/10/02(火)04 53 04.96 ID k01zum1kO ●<バイショォオオオオオオオオオオオオオ!!!! 古泉「……過疎時に僅差で後から保守すると、なんか負けた気分になりますね」 古泉「そう言えば…さっきから二回連続で同じIDに負けてます…相手の保守間隔もきっちり30分…」 古泉「…………」 ~30分後~ 古泉(5、4、3、2、1…今だ!) 古泉「『保守』、と」 古泉「…………」 174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage]2007/10/02(火)05 23 11.24 ID HO/shuh0O 保守 175:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage]2007/10/02(火)05 23 24.96 ID k01zum1kO 保守 古泉「……くあっ!」 古泉「……どうする?フライングして29分後に保守するか?……いや、そんな勝ちを拾って嬉しいのか?古泉一樹!」 古泉「きっちり30分後です…30分を切っても負けです。それがこのゲームのルール!」 ~更に30分後~ 古泉「『ほ』!」 古泉「……ッ!」 176:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage]2007/10/02(火)05 53 26.12 ID k01zum1kO ほ 古泉「……やった」 古泉「……僕はやりましたよ!機関のみんな!」 古泉「さて、好敵手の保守を待ちますか……」 古泉「…………」 古泉「……書き込みがありませんね」 古泉「…………」 古泉「……もしかして、寝ちゃったんでしょうか?」 古泉「……なんとなく完全敗北した気分です……」 長門「Zzzz…」 保守。 古泉「ふぅ…小ネタ書いて満足したから次は長編の続きです。今日は筆が乗りそうな気がしますよ」 ~30分後~ 古泉「……一行も進みませんね」 古泉「…………」 古泉「……今日は保守ネタ書いたからノルマクリアということにしましょう」 古泉「久々に書き上がりました。早速投下を……っと。長編の投下中ですか」 古泉「……『GJ!まさかの谷口フラグwww』、と。ん~…投下直後ですし、少し間を開けますか」 ~少しして~ 古泉「……もうすぐ1000行きそうですね。これは次スレを待ちましょう」 古泉「…………」 古泉「『1000なら古泉主役の感動巨編が投下される』、と」 古泉「…998…」 ~次スレ~ 古泉「『1乙』、さて……ん?お題募集ですか?」 古泉「…………」 古泉「『リーダーシップのある古泉』、と」 古泉「あぁ!投下が!『リロってなかったorz支援』、と」 ~更に少しして~ 古泉「そろそろ投下しないと人がいなくなりそうですね……って、こんな夜中に森さんから着信?」 ~通話中~ 古泉「はい、ですから24階の宝箱はスタート地点で剣を振れば出ます。26階はそれがないと取れません」 ガチャ 古泉「ふぅ…携帯ユーザーはこういう時不便です。さて、やっと投下を……」 古泉「……スレが落ちてる」 古泉「ネタに詰まりました……少し前回の話を読み返してみますか」 古泉「…………」 古泉「……あ、ここ伏線として使えそうですね」 古泉「…………」 古泉「……やっぱり自分の話を読むのは少し恥ずかしいですね」 古泉「…………!」 古泉「……微妙な誤字が……このままでも意味は通じるから問題はないですが……」 古泉「あぁ!気になる!……こんな少しのミスでまとめ人さんにお願いしていいんでしょうか?」 古泉「……読み飛ばせるレベルですし放置しますか?……でも、気になる……機関のPCから修正……いや、森さんにバレたら絶対にネタにされる……」 古泉「……うあぁ~!」 古泉「ん?メール?……森さんですか」 古泉「……また、ドルアーガですか?……えーと……上、右、下、左の順番に三回入力でしたっけ?」 古泉「取り敢えず、返信メール作成を……ん?」 『保存メールがいっぱいです』 古泉「……またメールボックスを整理しないといけませんね。気が付いたらSSとネタメモだらけです」 キョン「あれ?古泉のヤツ携帯忘れてる」 ダッダッダッダッダ! 古泉「すいません!携帯置いてなかったですか!?」 キョン「あ、あぁ…ほら、これ」 バッ、パカッ、カチカチ…… 古泉「……中、見てないですよね?」 キョン「そんな無神経なことはしないが……どうした?そんなに慌てて?」 古泉「い、いえ。なんでもありません……」 キョン(……エロい待ち受けにでもしてんのか?) 古泉(……書きかけのSSの画面……危ないところでした) 古泉「さて、そろそろ寝ますか」 古泉「…………」 ウトウト… 古泉「…………!」 古泉(プッ…ククッ…このネタは行けます!) 古泉(携帯にメモを……) ~翌朝~ 古泉「ふぅ…よく寝ました」 古泉「…!…そうだ!昨日メモったネタを……」 パカッ、カチカチ…… 『新川VS森~南海の大決戦~』 古泉「…………」 古泉「……いや、これだけじゃどんな話か分かりませんよ」 ~小テスト中~ 古泉「…………」 カリカリ… 古泉「…………!」 古泉(こんな時に限って強烈な電波が…!メモを…) ゴソゴソ… 教師「コラ、古泉。テストに関係ないものは仕舞いなさい」 古泉「あ、すいません……」 古泉(…くッ…!何かメモれるものは…?) 古泉「…………」 ~放課後・職員室~ 教師「……何だ?この『ヒミツの保健室なSOS団』って?」 古泉「えっと、それは……」 教師「『朝比奈さん=先生、佐々木さん=佐々木、谷口君=ナカヤン』……?何の暗号か知らんが、テストに落書きするなよ」 古泉「……はい。すいませんでした……」 SS作者古泉くん保守 ~古泉のマンションにて~ 古泉「どうぞ、お入り下さい」 キョン「おぉ、いい部屋だな」 古泉「機関が出資してくれてますから……飲み物を淹れますけど、コーヒーにしますか、紅茶にしますか?」 キョン「じゃあ、コーヒーで」 古泉「少々お待ちを」 コポコポコポ… キョン「お?今週のジャンプ。古泉ぃ~ジャンプ見せて貰っていいか?」 古泉「どうぞ、ご自由……に……」 古泉(……って、しまったぁぁ!) キョン「えーと、ハンターハンターは次からだっけ?」 パラ… キョン「……ん?」 キョン「なぁ、古泉……なんで漫画雑誌に付箋貼ってるんだ?しかも、こんなにいっぱい……」 古泉(言えない。SSのネタのためだなんて言えない……) SS作者古泉くん保守 古泉「書き込み…と。ふぅ……あと3レスです」 古泉「長い話だと携帯からの投下は少し不便ですね」 古泉「7レス目は……と……あ!」 古泉「……どうしましょう?投下中にもっといい表現を思い付いてしまいました」 古泉「……修正しましょう。2行追加して……書き込み……と」 古泉「8レス目に7レス目の2行をズラして投下……と」 古泉「9レス目にも2行ズラして……」 古泉「……!!」 古泉「しまった!1行だけ余ってしまいます!」 古泉「…くっ…仕方ない、もう1レス追加して投下しましょう……」 古泉「……最後の1レスだけ1行しかないのは凄く気になりますね……」 SS作者古泉くん保守 古泉「そこはFC版とAC版で条件違いますけど、そのアイテムは無視して結構です」 ピッ 古泉「ふぅ…さて、電車が来るまでかなり時間がありますね。小ネタでも書きますか」 古泉「~♪~♪」 カチカチ…カチカチ… 古泉「筆が乗って4レス分になってしまいました」 古泉「投下中でもなさそうですし、早速書き込みましょう」 古泉「『保守ネタ、4レス貰います』、と」 古泉「…………」 カチカチ…カチカチ… ピーッ!ピーッ! 古泉「はぅぁ!?バッテリーが!!通話前まで3つだったのに!!」 古泉「……どうしましょう?オチを投下出来ませんでした……」 SS作者古泉くん保守 キョン「……で、ハルヒが怒って帰っちまった訳だ」 古泉「……なるほど」 カリカリ…… キョン「……なぁ、さっきから何メモってるんだ?」 古泉「閉鎖空間が発生した理由をまとめた、機関への報告書です。ご安心を、あなたのプライバシーに関する部分は伏せますので」 キョン「……そんなことまでするのか、監視ってのは大変だな」 古泉「いえいえ」 キョン「……なんか嬉しそうだな?」 古泉「気のせいですよ」 古泉(今回はデート中の痴話喧嘩ですか…これで次回のSSネタゲットです♪) SS作者古泉くん保守 古泉「むぅ…この作者さんの長編はいつ読んでも凄いですね」 古泉「コメディ調に話を進めながら、裏ではシリアスな話を展開し、きっちり伏線回収……」 古泉「僕もこんな話を書いてみたいものです」 古泉「……しかし、どこかで読んだことがある気がするんですよね。この文章の書き方」 古泉「……まとめサイトでしょうか?」 鶴屋「よっしゃっ、次はガチな古キョンでも書くさっ」 SS作者古泉くん保守 古泉「き……」 カチカチ… 古泉「き……」 カチカチ… 古泉「…………」 カチカチカチカチ 古泉「あぁ!もう!どうして『喜』がこんなに後半なんですか!?」 古泉「最近の携帯は変換候補が多すぎて、逆に不便です」 SS作者古泉くん保守 長門「…………」 パラ… キョン「お?やけに薄い本読んでると思ったら携帯のパンフレットか。携帯変えるのか?」 長門「…………」 コク キョン「どんなのがいいんだ?カメラの性能がいいヤツか?テレビが見れるヤツなんかもあるな」 長門「……パケ放題が出来て、メールが全角2000文字以上打てるタイプ」 キョン「……は?」 長門「……今の私の携帯では一回の投稿で全角512文字が限界」 キョン「はぁ…?」 長門「……今のは忘れて」 キョン「……よく分からんが、その条件なら俺の携帯がそうだな。一緒のにするか?」 長門「…………」 コク SS作者古泉くん保守 古泉「『そして、世界は三度改変された』、と」 古泉「ふぅ…プロット完成です。ちょっと長めですね…SSにしたら全八話くらいでしょうか?」 古泉「……全八話か……」 古泉「今日はもう遅いですし、書き出すのは明日からにしましょう」 ~三日後~ 古泉「……あ、例の長編まだ書いてませんね」 古泉「…………」 古泉「……プロットが完成しただけで、やり遂げた気分になるのは僕だけでしょうか?」 SS作者古泉くん保守 古泉「今日こそは!」 カチカチ… 古泉「…………」 カチカチ… 古泉「『その華奢な体に腕を回し』……」 カチカチ… 古泉「『互いの鼓動が聞こえるほど顔を近付けて、そっと、囁く』……」 古泉「…………」 古泉「……やっぱり無理です!消去!消去!」 カチカチッ 古泉「はぁ…こういうシーンは恥ずかしくてどうしても書けません……」 古泉「…………」 古泉「……『好きです』」 古泉「…………」 古泉「うあぁッ!無理です!無理!」 ジタバタジタバタ SS作者古泉くん保守 古泉「『長編に詰まるとつい短編のネタを考えてしまう』、書き込み、と…はぁ…本当に長編が進みません」 鶴屋「ん?書き込みにょろ。『長編に詰まるとつい短編のネタを考えてしまう』……あ~分かるにょろ」 鶴屋「『あるあるww』、とっ」 古泉「あ、レスが付きましたね……『で、気になるから先に短編に手を着けたり』、と」 鶴屋「あははッ!分かる!分かるさっ!『ありすぎて困るww』、とっ」 古泉「お?レス早いですね。ん~……『で、結局短編も詰まって書き上がらなかったりww』、と」 鶴屋「…………」 カタカタ… 古泉「リロード、と。あ、返信レスありますね。えーと、なになに?……『それはない』……?」 古泉「…………」 古泉「……さて、長編の続き書きますか」 SS作者古泉くん保守 古泉「ズシャァァァッ!」 古泉「…………」 古泉「ズバァァァァッ!」 古泉「…………」 古泉「ズキュゥゥゥン!」 古泉「…………」 古泉「ちゅどーん」 古泉「…………」 古泉「読む時はなんとも思わないですが、自分で書くと擬音ってなんか間抜けに感じてしまいます」 SS作者古泉くん保守 ~続・編集長★一直線!~ キョン「むぅ…また恋愛小説か」 古泉「今回は僕も恋愛小説ですね。プロットは山ほどあるから楽勝です」 キョン「…………」 古泉「あ、一つプロットをお譲りしましょうか?あとはただ文章化すればいいくらいには書き込んでますよ?」 キョン「…………」 古泉「何がいいですか?ラブコメ、純愛、悲恋モノ。僕はラブコメで行くので別ジャンルがいいかも知れませんね」 キョン「…………」 古泉「オススメはツンデレなヒロインと鈍感な主人公のすれ違いを描いた――」 キョン「……古泉」 古泉「――純愛モノなんですが……って、はい?なんでしょうか?」 キョン「……まず、プロットってなんだ?」 古泉「……あ」 キョン「……あと、やけに楽しそうだな?」 古泉(しまった……つい調子に乗って……) SS作者古泉くん保守 長門「……初投下」 長門「……ドキドキ」 長門「……感想レスが付いた」 長門「…………」 長門「……『カオスww』、『シュールww』、『アナル行けww』、『是非尻穴スレに来てくれww』……」 長門「…………」 長門「……私が書いたのは純愛モノ」 SS作者古泉くん保守 ~続々・編集長★一直線!~ 古泉「プロットというのは物語を書くための構想やあらすじのようなモノで……」 キョン「…………」 古泉「……今回のように再び小説を書かなければならない時のために書き貯めておいた訳です」 キョン「……なるほど」 古泉(……はぁ~…なんとか誤魔化せました) キョン「……ところで古泉」 古泉「なんですか?」 キョン「このプロットとやらに登場する主人公とヒロインが、俺とハルヒにそっくりな理由を詳しく説明して貰おうか?」 古泉「え?……あ」 古泉(し、しまったぁぁぁぁッ!) SS作者古泉くん保守 ~続々々・編集長★一直線!~ キョン「……俺とハルヒの喧嘩や騒動をおもしろおかしくネタに仕上げてた訳か」 古泉「……すいません」 キョン「あんまりいい気はしないな」 古泉「……ネタに困ってまして……本当にすいません」 キョン(……たかだか年に一、二回の機関誌のために、なんでそこまでネタが必要なんだ?) キョン「まぁ、いいか。それより古泉」 古泉「……なんですか?」 キョン「これだけネタがあるってことは小説化したのもあるんだろ?読ませてくれ」 古泉「…………」 古泉「無理無理無理無理!無理です!」 キョン「なんでだよ?いいだろ?どうせ機関誌に載ったら読むことになるんだし」 古泉「今完成してる分は人様に読ませられる話じゃないんです!」 古泉(……だって完成してる小説は全部二次創作ですから) キョン(……おいおい、まさか18禁か?) SS作者古泉くん保守 ~各々の好み~ 古泉「ハルキョンだけはガチです」 長門「……二次創作だからこそ長キョン、長古」 鶴屋「カップリング?特に気にしてないにょろ。会長と古泉君なんか面白いかもねっ」 ~番外編~ 森「タジミハが私のジャスティス」 SS作者古泉くん保守 ~♪~♪ キョン「ん?メールか」 ダッダッダッダッダッ! 古泉「はぁッ!!」 キョン「うおッ!?」 ガッ! ゴロゴロゴロ…… バッ、パカッ、カチカチカチ…… キョン「……古泉……わざわざ俺の教室まで走ってきて、飛び込みざまに俺の携帯を奪い、受け身を取りながら勝手に携帯を操作した理由を説明して貰おうか?」 古泉「長い状況説明、ありがとうございます。さすがに台詞と効果音だけでは限界がありますね」 古泉「えーとですね……そう、間違って機関へ送る機密文書をあなた宛てに送信してしまいまして。見られる前に消去する必要があったんですよ」 キョン「……お前、機関の名を出せば俺が納得すると思ってないか?そんなもん普通は携帯のメールでやり取りしないだろ?」 古泉「し、信じて下さい!」 キョン「……まぁ、いいけど。ほら、携帯返せ」 古泉「……すいません」 キョン(……彼女宛てのメールに3000点) 古泉(書きかけのSSを間違って送信してしまうなんて……自殺モノですよ!?) SS作者古泉くん保守 長門「……前回の短編の続編完成」 長門「……投下」 長門「……ハラハラ」 長門「……感想レスが付いた」 長門「…………」 長門「……『相変わらずカオスww』、『テラシュールww』、『だからアナル行けってww』、『尻穴スレではあなたの登場を心待ちにしております』……」 長門「……グス」 長門「…………」 長門「……!」 長門「……『うまくカオスに見せてるけど、実はこれ純愛話だな。じんわりと来たGJ!』……」 長門「…………」 長門「……その1レスで私は次も頑張れる」 長門「…………」 長門「……でも、これは普通の純愛モノ」 SS作者古泉くん保守 古泉「…………」 カチカチ… キョン「…………」 古泉「……プッ、クスクス……」 カチカチ… キョン「……なぁ、古泉」 古泉「なんでしょうか?」 キョン「……メール打ってる時なのかな?お前、いつもニヤニヤしたり、しかめっ面になったりしてるけど、自分で気付いてるか?」 古泉「は……?」 キョン「ちなみにさっきはクスクス笑ってた」 古泉「…………」 古泉(……迂濶。まさかSS書いてる時にそんなことになってたなんて) SS作者古泉くん保守 古泉「短編が出来ました。けど、深夜ですね……『人いるかな?6レスほどの短編を投下します』、と」 古泉「おや?タッチの差で先に投下予告した人がいますね?」 古泉「『お先にどうぞ』、と。20レスオーバーの長編ですか?これは支援が必要みたいですね」 古泉「『支援』」 ~支援中~ 古泉「『支援』、……どうやら僕と投下中の彼しかいないみたいですね?深夜は寂しいものです」 ~支援終了~ 古泉「『GJ!甘々ハルキョン大好物です!』、と。ふぅ、久々にいい糖分を頂きました」 古泉「良作の後は少しテンションが上がりますね。僕のSSも行きますか」 古泉「『では、今度はオレのターンw』、と」 古泉「……あれ?」 古泉「……さるさん……」 SS作者古泉くん保守 古泉「……『毎回毎回、書き出しで詰まる。ここさえ抜けたら結構楽なのに』、と」 鶴屋「おや?書き込みにょろ」 鶴屋「ん~『自分は書き出しは楽しいけど、話の中盤で詰まることが多い』、とっ」 長門「…………」 長門「……『中盤は話のメインなので書いてて楽しい。話を上手く締めるのによく苦労している』、……書き込み」 古泉「……これは」 古泉「『自分は締めが一番楽しいかな?三人で役割分担したらいい感じになりそうw』、と」 鶴屋「あはは!『面白いwやっちゃう?w』、とっ」 長門「…………」 長門「……『楽しそう。でも、二人はどんな話を書いてる?』」 古泉「『今書いてるのは軽いギャグの甘いラブコメ』、と」 鶴屋「えーと、『アナル向けのカオスなイジメものかな?』、とっ」 長門「……『……やや欝の純愛モノ』」 三人「…………」 SS作者古泉くん保守 ~やっちゃいました~ 古泉「喜緑さんと会長がSとM?フリーダム過ぎますよ!」 鶴屋「あはは!『最近のマイブームw』、とっ」 古泉「あぁ!もう!なんでSOS団の半分が死んでるんですか!?」 長門「……『そこは譲れない。頑張って』、……書き込み」 古泉「……えぇ、嫌な予感はしてましたよ。でも、他の二人が乗ってきたら言い出しっぺとしてやめれないじゃないですか!?」 ~雑談室~ 『例の合作の最終話マダー?』 『↑最後の一人が詰まってるっぽい』 『↑まぁ、あの展開じゃあなw』 『↑~↑×3、あれは作者が投げても俺は責めないぞw』 古泉「あぁぁぁぁッ!」 SS作者古泉くん保守 古泉「……『その程度ですか?森さん』……」 カチカチ… 古泉「ふぁ……眠いですね……」 古泉「……夜の三時ですか。明日が祝日とはいえ、流石に夜更かしが過ぎますかね?」 古泉「……このシーンを書き終わったら眠ることにしましょう」 カチカチ… 古泉「……『あなたの負けですよ、森さん……いえ、森園生』……」 カチ…カチ… 古泉「…………」 ウトウト… 古泉「……Zzzz」 ~翌朝~ ピッピピッピッピピ 古泉「……ん?……あぁ、携帯のアラームですか」 古泉「ふぁ……設定オフにするの忘れてましたね」 カチカチ… 古泉「……さぁ、もう一眠り……」 古泉「…………」 ガバッ! カチカチカチ! 古泉「うぁぁぁぁぁッ!」 古泉「保存してない分のSSが!」 SS作者古泉くん保守 古泉「短編が出来ました」 古泉「ふっふっふ……今回の話は自信作ですよ」 古泉「いざ、投下」 『乙』『乙』『保守』 古泉「あ、あれ?リアクションが芳しくありませんね……」 ~別の日~ 古泉「ん~……続きの短編が出来ましたけど、ささっと書いただけあって微妙ですね」 古泉「ま、一応投下しますか」 『おまwww』『GJ!!』『萌えたww』『是非続き書いてくれ!』 古泉「え、えぇ?」 SS作者古泉くん保守 古泉「長門有希の特攻」 古泉「朝比奈みくるの不屈」 古泉「喜緑江美里の……奮起」 古泉「これは……涼宮ハルヒの……う~ん……暴虐?」 古泉「……ふぅ」 古泉「……SS読んだ後に、ついつい原作風サブタイトルを付けてしまうのは僕だけでしょうか?」 SS作者古泉くん保守 古泉「はぁ……本格的に詰まりました」 古泉「前編だけ投下なんてやらなければよかった……」 ハルヒちっくな悪魔『どうせあんたの話なんか誰も覚えてないわよ』 古泉「あぁ……悪魔の囁きが聞こえます」 ハル悪魔『長キョンなんてありきたりな話、どうでもいいわよ。もう投げちゃいなさいよ』 古泉「そんな……でも、続きが書けないのも事実ですし……」 みくるちっくな天使『投げてはいけませんよ』 ハル悪魔『む!?』 古泉「今度は天使の声が……?」 みく天使『きっと一人くらいはあなたの書く話を待っている人がいます』 古泉「……そんな奇特な方がいらっしゃるのでしょうか?」 みく天使『いますよ、きっと。そして……』 古泉「そして?」 みく天使『みくキョン物に軌道修正しましょう。大丈夫。今からならまだ間に合います』 古泉「……え?」 ハル悪魔『ちょっと待ちなさい!』 みく天使『あれあれ?どうでもいいんじゃなかったんですか?』 ハル悪魔『そういうことなら話は別よ!あの流れから軌道修正ならハルキョン以外認めないわ!』 みく天使『やれやれ……ワガママ言ってもらっては困りますね』 ハル悪魔『な!?最初に無茶言ったのはどっちよ!?』 みく天使『それにハルキョンの方がありきたりですよ~?』 ハル悪魔『ハルキョンは王道だからいいの!』 ギャーギャー 古泉「……とにかく頑張ろう」 SS作者古泉くん保守 古泉「ふぅ……後編及びエピローグが完成しました」 古泉「…………」 古泉「え?なんで投下しないのか?……ですか?」 古泉「……それは」 古泉「……中編が全く手付かずだからですよ」 SS作者古泉くん保守 ~やっちゃいました・その後~ 古泉「……終わった……やっと、例の合作の最終話が書き終わりました……」 古泉「もう合作も長編もこりごりです。僕は短距離走者、小ネタ職人として生きていきます」 ~三日後~ 古泉「……って、なんでまた長編書いてるんですか!?アホの子ですか!?僕は!?」 古泉「あぁ!でも、勝手に筆が進む!絶対に詰まって後悔するのにぃ」 古泉「あぁ……」 長門「……プロット完成」 長門「……次こそは……」 鶴屋「ん~そろそろ超長編に行ってみるさっ」 鶴屋「たまには真面目な話で行くにょろよ!」 古泉「……やっぱり詰まってしまいました」 古泉「……息抜きしましょう。貯まってる新作SSでも読みますかね」 古泉「……うぁ……今書いてる話とネタが被ってる……」 こうして、今日も作者たちの夜は更けていく……。 SS作者古泉くん保守・完
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1 アナルについて書く。 アナルは言うまでもなくケツの穴である。しかしある時の俺にとってそれは宇宙にも等しく無限の時間にも近かった。ある人間はこう言った。 「アナルは僕の生きがいです。アナルなくして人類の未来はありません」 大げさだった。言うまでもなく彼の頭の中はいかれているのだ。しかしいかれているというのは時として、自分ではなく世界そのものであることがある。それを勘案してもこの場合、彼には間違いなくいかれポンチの落款をくれてやれる。高校時代、俺の世界はそのようにして回っていた。傍目から見れば相当に奇矯であり、俺から見れば相応に奇特であった。 そしてそれら二つに大差はないのだ。仮に俺が校舎の屋上から飛び降りたとしても、あいつらであれば「そんなこともあるわね」と言って受け流したかもしれない。 * 「ねえ、今日あたしたちは何回セックスしたかしら」 枕元でハルヒが言った。俺たちは大人になっていた。高校時代は過ぎてみれば電車から見る景色の一点でしかなかった。しかしそれは見過ごせない景色であり、その証拠のひとつとして今ここにハルヒがいた。俺たちはあれから数え切れないほど様々な行為に及んだ。ある期間、俺はその回数を数えたくてしょうがなくなったので、情動にしたがってみた。 すなわち俺たちは一年間に8692回手を繋ぎ、2110回キスをし、264回セックスをした。こと俺について言えば、それとは別に62回マスターベーションをし、85回男に掘られかけた。 人は放っておいても女と寝るし、男に掘られる。そういうものだ。 高校を出た俺は大学に進学し、それなりの毎日を過ごし、それなりの友を得、それなりに酒を呑み、それなりにマンガを読み、それなりに小説を読み、そして音楽を聴いた。 俺は高校を卒業する時に童貞を喪失したが、相手はハルヒではなかった。高校時代憧れていた先輩でもなかった。厳密には人類ではない文芸部員でもなかった。 相手は男で、俺は人生のトラウマの実に98%をそこに費やした。いや、費やされた。 「んあっ、いく、いきますキョンたぁん!」 ひどく冷静だったのを覚えている。そうか、こうして男は掘られるのか、と、童貞喪失という一大事において、俺はいささか平常心を持ちすぎていた。 * 「ねえキョン、あたしたちいい加減マンネリだと思わない」 ある日の夜、二度目のセックスを終えて俺とハルヒはベッドに横たわっていた。相応の倦怠感が室内にわだかまっており、相当の沈黙が室内を支配していた。確かにマンネリだった。たまに思い出したように俺たちは喧嘩をし、結果八割をハルヒが白星で飾った。そういうものだ、と俺は自分に言い聞かせた。 「キョン。これ訊いていいかしら」 「何だ」 「高校時代、あなた古泉くんとつきあってたわよね」 「ああ」 「やっぱりそうなの。いいの。解っていたわ。いつかこんな日が来るって。そしてそれは避けられないって」 言い出したのは自分ではないのか。 「マンネリね、あたしたち」 しかし悲しいほどハルヒの言葉には現実味があった。そして俺は卒業式に古泉と交わった日のことを、煙霞の彼方に見える巡視船を見るように思い浮かべていた。 マンネリとはすなわち単調、均一化、画一的の謂(いい)であり、まさしく今の俺たちに当てはまる言葉だった。思えば世の中のあらゆるものはマンネリを繰り返すことと、それを打破することで成り立っている。今川焼を売る店は狂ったようにあんこを生産し続け、飽きられるとクリームとチョコレートに手を出す。それも飽きられると今度はジャムやツナを挟んでみる。つまりはそういうことだ。 「別れたいのか」 俺はハルヒに言った。彼女は静かに首を振って、 「そうじゃないの。ねえ、マンネリって素敵なことだわ。カタカタ四文字の言葉って大体あたしは嫌いだけど、この言葉は好きよ。そしてキョン、あなたが今でも好き」 そう言って俺たちは今日36回目のキスをした。悲しいことにいささかの悦びもそこにはなかった。 あろうことか俺はまだ古泉との過ちを思い出していたのだ。 * 船について話す。 実を言うと俺は高校時代初めて船に乗った。すさまじく酔った。当時、回数を数えることに愉楽を見出していなかった俺は、一体あの時何回嘔吐したのかをまるで覚えていない。 「そんなことどうでもいいじゃないの。それよりあなたの精液が少し黄色いことの方が気になるわ」 そう言ったのはハルヒではなかったと思う。 ともかく、船は酔う。あの夏の合宿旅行について思い出す時、俺は意図的に吐いた場面を頭から排除することにしている。人は放っておいても吐かないが、吐くときはナイアガラの滝より盛大に吐くものなのだ。 「ねぇキョンたん、僕たちとうとうひとつになれました」 無理矢理一仕事終えた古泉は言った。俺はてんで聞いちゃいなかった。これでハルヒに童貞を捧げる機会は永遠に失われたのだと思っていた。そして当時の俺には、それはフィリピン海よりも深い悔恨をもたらすことに思われた。今後いくらハルヒとセックスしようとも、それはみな二番目以降なのだ。 放課後の文芸部室には大抵超能力者と未来人と宇宙人がいた。そして俺とハルヒがいた。今にして思えば、あれらはみなあの場にいた人物の演技だったのかもしれない。俺は入学直後に催眠術にかかり、以後三年間を昏睡したまま過ごしていたのかもしれない。それを醒ましたのが卒業式の同性による強姦だったのだ。 そう思うと納得がいった。すなわちあれは必要なことだったのだ。 そうして俺は大学に入り、つつがなく社会人になった。 一般事務はまるで向いていないと知るや、半年で営業に転職した。ルート開拓に苦杯をなめたこともあったが、事務職に比べれば遥かに向いている仕事だった。そんな日々が六年続いた。その間に俺は主任になり、係長になり、課長になった。異例のスピードで出世をしてしまうと、急に世の中が白黒になったような錯覚がした。六年の間に幾人もの女性と関係を持ったが、今この場には誰もいなかった。 そうして俺はある日、涼宮ハルヒに電話をした。 「好きだ。つき合ってくれ」 「そうね。それもいいかもしれないわ」 13年越しの恋であったのかもしれない。その夜、俺たちは13年分の思いを解き放つように抱き合った。この時初めて俺はセックスを心地よいものだと感じるようになった。 室内にはサージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンドの一曲目がかかっていた。 新聞にはオイリーヘアの古泉一樹が写っていた。大学を卒業すると同時に渡米し、政界に手を出したが失脚、贈収賄でとうとう捕まったらしい。いつかそんなことをする男だと思っていた。 高校時代の友人と言えば、谷口に先日ばったり再会した。ハッテン・カフェという行きつけの喫茶店にふらりと現れた昔の友は、なんと性転換手術をして女性になっていた。 「ひさしぶりね」 「そうだな」 「あたしのこと、覚えてる?」 「誰だっけ」 「んもう。谷口よ。お馬鹿さんねあなたも」 そうかもしれなかった。馬鹿、という言霊には、どうもこそばゆい響きがある。 「機会があればまた会えるわ。それじゃね。シーユー」 店内にはオスカーピーターソンのジャズがかかっていた気がする。そして谷口とはそれ以来会っていない。会いたくない、というわけではない。ただ、何か大きな流れのようなものによって俺とあいつは再会し、同じ流れによって会っていない。そういうことだ。 * 俺はハルヒの乳房をまじまじと見ていた。 それは磨かれた陶器よりもすべすべしていて、初雪のように光り輝いて見えた。 しかしそこに最初のような軒昂はなかった。思えばあの日、初めてハルヒを抱いた夜、俺はそこに古泉を重ねていたのかもしれない。卒業式の後の、淡い陽光が清浄な白をもたらす校庭の片隅で、俺はあいつに何かを吸い取られたのかもしれない。その代わりに、あいつは俺を三年間の夢から引き戻したのだ。 「ねえキョン、あたしの考えていることが解る?」 「いいや。自分の考えていることすらよく解っていないからな」 「あたし、あなたの考えていることを考えていたの。そしてそれはたぶん当たっているのよ。でもね、たとえマンネリでも、あたしはまだあなたの傍にいるわ」 「嬉しいよ」 そして俺たちは三回目のセックスに興じた。 三十路を過ぎた、ある夜のことだった。 2 高校二年生の秋、校舎の中庭に落ちる枯葉を見ていた。 「どうしたのよ」 ハルヒが俺に言った。 「枯葉を見ているんだ。こうしていると頭の中でビートルズが聴こえてくる。例えば今はサムシングがかかっている」 「ジョージ・ハリスンの曲ね。あたしあれ苦手だわ」 「俺もあまり好きじゃなかったよ。でもね、世の中の物事というのは全て変わっていくんだ。今この時でもそう思うよ。近頃は好きになってきたんだ。感性が変わってきたんだろうね」 「感性の変化はあたしにもあるわね。たぶんあなたよりずっと強くめまぐるしいわ」 そうだろうと思う。ハルヒはSOS団を立ち上げたのだから。そこに全てが収斂していた。あらゆる物事は流転していく。たとえば高校に入った頃、俺はハルヒを美人だと思っていた。一週間後には変人だと思っていた。もう一週間のうちにブラジャー越しの乳房を見た。その間、ハルヒの髪型は周期変動を続けた。 しかしこう考えることもあった。変わっているのは俺なのではないか。俺の中で何か突飛な、コペルニクス的転回にも相当する激変が起こり続けていて、俺はそれを全く認識していない、周囲もまた認識していない。世界は実は変わっていないものの、俺が変わっているおかげで全てが変わっているように 見える 。 「どうしたの。浮かない顔をしているわ」 「気にしなくていい。ちょっと寝不足だったんだ」 「また自慰にふけっていたの」 「違うよ。寝るのが遅くなっただけさ」 実はふけっていた。 * 昼休み、俺は部室で古泉と話していた。 「誰も来ませんね」 「来ないな。あるいは見えないだけかもしれない」 「確かに。長門さんや朝比奈さんが僕たちの目に見える保証などどこにもありませんね」 そのような会話をしていた記憶がある。あるいはそれは間違いかもしれない。 「この頃あちらもご無沙汰ですよ」 「奇妙な能力は使わないほうがいいと思う」 * 前の年。 俺は古泉に連れられて灰色をした空間に向かい、そこで青白い巨人を見て、赤い光の玉を見て帰ってきた。ああ、こうして物事は終わりを向かえるのか、と思った。印象派の絵のように、一度見たら忘れられない光景というのがある。ハルヒの上半身、朝比奈さんの全身、長門の眼鏡、古泉の全て。何も人物に限る必要はない。大学入試や梅雨時の営業接待、国木田の結婚式の仲人、翌日の朝五時に起きて見た厳寒の空。雲ひとつなく、真っ青の淵が朱に染まって行く場面は、一生忘れないのだ。 そうして記憶に焼きついた光景は、節目ごとに強烈なイメージとなって思い出される。それは何をしているかに関係なく、例えば事務の女の子とのキスの最中、残業明けの帰りの車中、大学仲間との三年ぶりの飲み会。そうした場面場面で、俺はハルヒの上半身や閉鎖空間での出来事について思い出しては忘れた。 ある時は真冬の居酒屋で鍋をつついていた気がする。そこには高校時代の同級生の誰かがいて、それはまず間違いなく女性だった。あるいは女性のような誰かだったのかもしれない。 * 「アンコウ鍋って食べにくいわね」 「でもこれはきりたんぽ鍋だよ」 「いいのよ。私にとってはアンコウ鍋なの」 やれやれ。 「この後だけど」と彼女は言った。「久し振りにどうかしら」 「構わないよ」と僕は言った。隣のサラリーマンの眼鏡が湯気で曇っていた。冬だったのかも しれない。 * 「あなたって最高だわ。あたしにとっては」 ハルヒの声だった。久し振りに俺たちは抱き合っていたのだ。俺はかれこれ四回射精し、まだまだ余力を残していた。しかし精神的にはそれほどでもなかった。 ハルヒは俺の精液を満足そうに眺め、やがてレーゾン・デートゥルと名前をつけた。 室内には止め忘れたレット・イット・ビーのCDがかかっていた。ディグ・イット。やがて聞き慣れたピアノの音色とともに表題曲が流れた。 なすがままに。 その通りだった。あらゆる出来事が俺の前を通りすぎ、そしてそれは加速し続けてとうとう捕まえられなくなってしまった。もしかしたら、一年前なら届いたかもしれない。しかし一年前にはもう戻れない。戻ったところでどうにもならないことを俺は体感によって知っているのだ。 「みくるちゃんのことを思い出しているのね」 ハルヒは悲しい顔で笑った。俺は黙って頷いた。 朝比奈さんとは多くの時間を共有し、二人だけでいることもかなりあったのだが、あいにく彼女にまつわる記憶は一切がもやに包まれていた。 「記憶抹消を受けた可能性がある」 誰かがいつかそう言っていた。しかし今の俺には関係のないことだった。仮に朝比奈さんに関する手がかりを得たところで、俺に彼女を幸福にする術はないのだ。 朝比奈さんは現実感を欠いたような笑い方をする人だった、という漠然とした印象だけが胸の奥底にぼんやりとゆらめいている。そのイメージの中で、彼女は確かに口を動かし、言葉を発するのだが、それが何なのか俺には聞きとれなかった。どのような聞き方をしても、どれだけ距離を縮めてみても、それは全くの無音となって虚しく空を打つだけだった。歳を取るごとに思い出す回数は増えていき、ある時俺はベッドで一人泣いた。覚えている限り五年ぶりに涙が出た。熱く重たい鉛を胸の井戸に沈められて、中の水が突然沸騰して溢れるように、俺はおいおいと泣いた。 「キョン。あたしがついているわ」 ハルヒがそっと寝室に入ってきて、軽いキスの後で言った。 「朝比奈さんは帰ってこないんだ」 「知っているわよ。あたしも、何回も悲しくなったわ。でもそれ以上に、だからこそあなたといる今を大事にできるのよ。こうして話している以上に、ずっとずっと大事に想っているわ」 本当にありがたいことだったが、俺はハルヒに言葉を返せなかった。胸の中にある鉛の温度は、まだまだ冷めてくれなかったのだ。 しかし、翌日になると俺は綺麗さっぱり彼女のことを忘れてしまった。「おかしな人ね」とハルヒは笑ったが、果たして昨日俺は誰の顔を思い出していたのだろうと首を傾げ、解らないまま町内を3kmほど走って、それから本屋に行ってカラマーゾフの兄弟を買って帰った。上巻の中ほどで読書は止まり、それから二週間一向に進んでいない。 それから二ヶ月経って、今度は小学生の頃に初恋の相手だった従姉妹について思い出していた。 今にして思えば、彼女はとても官能的な娘だった。俺は当時小学五年生で、彼女は高校生だったはずだが学年は思い出せない。あの頃の俺にとって、中学生も高校生も区別がほとんどなかった。制服を着ていて、自分よりずっと上のお兄さんお姉さんという印象だけを抱いていた。 従姉妹の家へは車で三十分ほどかかる。いつも決まって父親の運転するカローラに乗り、妹が突飛な行動に出ないように気を配っているうちに到着していた。 「キョンくんこんにちは」 彼女はいつも決まって俺にそう挨拶した。冬場の印象が強い。タートルネックのセーターに、銀色に光るチョーカーをしていた。あれはもしかしたら彼氏からの贈りものだったのかもしれない。彼女は肩口までかかるつややかな髪を妖精めいた仕草で払う癖があった。その後で、少し困ったように俺と妹の方を見て笑うのだ。「ように」と言ったものの、もしかしたら本当に困っていたのかもしれない。そう思うのはこの時期よりずっと後のことだ。 通過儀礼のような親戚家族同士の挨拶が終わると、俺と妹は決まって彼女の部屋に通された。年頃の女の子らしいお洒落な家具が心拍数を上げた。妹はそんな俺をよそに、磁石のように従姉妹に張り付いていた。 「うふふ。かわいいわね」 彼女は実の妹のように六歳児を可愛がっていた。俺はというと視線の置き場に常に困っていた。壁にかかった制服を見るとやたらと顔が熱くなり、従姉妹の笑顔を見るとそれは倍の温度になった。 「音楽をかけましょうか」 そう言って彼女はマジカル・ミステリーツアーのCDをかけた。ビートルズを聴いたのはこの頃が最初だった。 俺はかしこまって正座した。ものの十五分で足がピリピリし始め、それは顔に表れていたはずだった。 「キョンくんは本を読むんだっけ?」 彼女は笑顔のまま、細く背の高い書棚から何冊か取り出して、そこから選んで推薦した。 「ああ、これはSFね。よく解らなかったのよ」 そう言って彼女は青い背表紙の一冊を脇に寄せた。 「これはためになったわ。どうせ忘れてしまうのでしょうけどね」 次に出したのがドストエフスキーだった。当時の俺には表題の「と」しか読めなかった。 何より気になって仕方なかったのは、セーター越しにぴたりと線の出る彼女の胸元だった。相応に膨らんでいて、うっかりすると俺の股間は充血してしまっていた。身体の反応を隠すのに四苦八苦した覚えがあるが、 「ねえ。この場面、素敵だと思わない?」 彼女が近付いてきて、本の中のある文章を指し示した。いい香りが鼻腔を満たし、俺は全身が火照るのを感じていた。帰った後で、トランクスの中を確認したかもしれない。 まず間違いなく、彼女は俺の反応を解っていて接近したのだと思う。あの時の笑顔には、当時の俺の年齢では察知できない含蓄があった。大体月に一度訪れる彼女との時間は、永遠に続けばいいとさえ思えた。そしてそれは体感時間としてはとても長いものだった。 妹がたびたび茶々を入れてきていたはずだが、彼女は実に巧妙にそれをあしらっていた。妹の天真爛漫な性格を見抜いてのことだろう、と今の俺は検討をつけている。 * やがて帰る時間が来ると、名残惜しく思う俺の心情を読み取っているかのように彼女は玄関先まで見送りに出てきていた。 「またね、キョンくん」 そうして手を振った後で車は走り出し、振り返ると彼女はこちらへウィンクをした。 あの部屋で聞いたストロベリー・フィールズ・フォーエバーが、時折耳の中でわんわんと鳴る。 他にも彼女からはあらゆる高揚を与えられたものの、最後に年上の彼氏と駆け落ちをしてしまった。以来二十年余り会っていない。生きていれば三十台半ばを回ったところのはずだった。 「今日は誰の思い出に耽っていたの」 ハルヒに嘘はつけなかった。まだ頭の中でジョン・レノンの曲が流れていた。俺が返答に困っていると、 「まあいいわ。たぶんあたしは一生会わない人でしょうし」 そう言ってキスをした。その日は早く寝た。 * 美しい小説には、大抵胸に残るフレーズがあるものだ。 それは冒頭の一文かもしれないし、途中に挟まれる台詞かもしれない。新訳のキャッチャー・イン・ザ・ライを読みながら、俺はふとそんなことを考えた。真冬の弱々しい光が窓辺を照らしていた。 「どうぞ」 「すまない」 ハルヒが淹れたコーヒーはいつも苦かったし、彼女はそれを自分でも解っていたが、互いに不平を言うことは一度もなかった。探せばいくらでも見つかるものをわざわざ探す必要はない。 当分俺が彼女たちとの時間を思い出すことはないだろう、と思って、ページを繰った。 3 エレベータ・ホールに立っていた。 硬質な黒い壁と天井に、真っ白な蛍光灯が全体を照らしている。白と黒の空間にいるのは俺だけだった。身につけているのは学校の制服。冬用ブレザー。これはおそらく記憶の中だ、と検討をつける。見渡すと、この部屋には12のエレベータがあるようだった。すべてがこの階に止まっていて、ランプは24のところで点灯していた。24階ということらしい。 「どれに乗ればいいんだ」 俺は呟いた。どれも見た目は全く同じだった。考えているうち、思考がポーク・ソーセージへと向かい始めた。腹が減っていたのだ。バンズにレタスと挟んで食べたかった。 「どれでもいい」 隣の人物が言った。そこにいることに今気がついた。女子制服、ショートカット。「君は」と言いかけて、長門有希というのが彼女の名前だと思い出した。 「どれでもいいのかい」 「いい」 埃一つないホールの中は、小さな声でも相当に残響した。やがて音が止むと、そこには完全な静謐が訪れる。時を止めたようだ、と俺は思い、途端にサージェント・ペパーズの最後に入っている奇妙な音声のリピートが頭に鳴り出した。頭を振ったものの、笑い続けるような数秒間のループは延々と鳴り続けた。 「これにしよう」 俺は目の前のエレベータの横に取り付けられたボタンを押した。上へ向かうボタンだった。 「……」 無言のまま有希はついて来た。 エレベータの中にボタンは4つしかなかった。閉まる、開ける、24F、1028Fだけだ。 「1028階だって?」 「珍しいことではない。この宇宙ではありふれた現象」 俺は有希を見た。控えめな美しさを誇る彼女は無表情だった。有希がそう言うならば、確かにそうなのだろう。俺は頷いて1028階のボタンを押した。エレベータが上昇しだした。頭の中のリピートは今は止んでいた。俺はあらためてエレベータの中がどのようになっているか見渡した。何のことはない、普通のエレベータだった。先ほどまでのホールと似たデザインの黒い密室。蛍光灯がやはり天井から照らしていて、白と黒の光景しか見えなかった。腹が鳴って、俺はまたポーク・ソーセージについて考え始めた。バンズに今度はレタスと目玉焼きもついている。真っ白な皿の横に透明で清潔なグラスを置き、オレンジ・ジュースをたっぷりと注いだ。 「今何時」 「え」 間抜けな声が出た。有希が時間を訊いてきた。しかし俺は時間を表示するものを 何一つ身につけてはいなかった。携帯電話はもとより、腕時計も持っていない。そこ で俺は彼女が宇宙人であったことを思い出した。 「君には解らないのかい」 「解らない」 そうらしい。そうでなければ彼女が俺に時間を訊いたりするはずがないのだ。常識を 超えたエレベータのせいで、そんな簡単なことまで解らなくなってしまっていた。 「ここはどこなんだろう」 「解らない」 簡潔に有希は答えた。それは彼女の美徳と言えた。往々にして女性というのは余計 な話をしたがるものだが、彼女においてはそのようなことは一切なかった。俺が考えて いるその間にもエレベータは上昇を続けていた。オレンジ色のランプは24と1028の間 にひとつ記された「・」のところで点滅を繰り返していた。点滅するたび、白と黒の世界にオレンジ色が入ってくるようになった。白、黒、オレンジ、白、黒、オレンジ。目がちかちかして、眩暈(げんうん)感に捉われる。 「まだ着かないのかい」 「あと二分」 有希の言葉にはまたしても迷いがなかった。やれやれ、と俺は階数表示に目を戻す。すると先ほどまであった表示が消えていた。 「なくなってる」 「よくあること」 ここでも有希は迷わなかった。それどころか退屈しているようにさえ思えた。ふいにハルヒの悪戯っぽい笑顔が浮かんできて、消えた。それきり思い出せずにいると、とうとうエレベータは1028階に着いた。 ドアを出ると俺は強烈な既視感に襲われた。またエレベータ・ホールがあったのだ。しかも先ほどと全く同じつくりをしていて、やはりドアが12あった。 「どうなってるんだ」 「こっち」 今度は有希が先導した。俺はそれに続いた。 有希が入ったのは向かいにある右端のエレベータだった。しかしそれは厳密にはエレベータではなく、誰かの部屋の入口だった。ぱっと見では社長室のようなところで、向かいの壁は全面が窓ガラスになっていて、そこから向こうは都会の夜景がどこまでも続いていた。1028階ともなればかなりの高さになるはずだったが、雲はひとつもなかった。ずっと下のほうをヘリコプターと思しきプロペラがクルクル回って飛んで行った。 有希は一つだけある机に近づいた。この部屋の主は今留守にしているようだった。手前にある応接用のソファを避けて、俺も彼女に続いた。 「二分待って」 「また二分か」 今度の二分は先ほどよりも長く感じられた。直立不動で夜景を眺めていると、いつまでも時間が続いて、しかし時計の針は全く動いていないような錯覚に陥った。 * ドアが開いたのは息が詰まるほどの静寂で室内が満たされた後だった。彼はかっちりと仕立てられた黒のスーツを着て、ブランド物の銀縁眼鏡をかけ、ローファーを絨毯にすとすと沈ませて机まで歩いてきた。 「待たせてすまないね」 「いい」 いかにも社長らしい外見の中年男性に有希は迷いなく答えた。それから彼女は社長と何やら二言三言話し合っていた。俺はその間、夜景の遠くに点滅するヘリポートの明かりを注視していた。早く終わればいいのに、と思った。それはあまりに非現実的な夜だった。盆踊りをしながらラスベガスに来て、そのままカジノに行って檜風呂に入っているような唐突さだった。 「終わった」 「そうかい。助かるね」 何分経ったのかよく解らなかった。社長のような男性は、俺たちより先に部屋を出て行った。 「一体何しにここへ来たんだい」 「それはあなたには理解できない」 やれやれ。 「帰っていいのかな」 「こっち」 有希はまた俺を先導して、来たのと同じドアからエレベータ・ホールに戻った。 そこから24階まで戻るのは、来た時に比べてひどく簡単なことに思えた。体感時間は百分の一くらいだった。 * 真冬の風を背中に浴びて、俺はバーの中に入った。 一人で二時間ほど酒を呑んでいると、女性に声をかけられた。店内放送の年代特集は、カム・トゥゲザーのカバーを流し始めた。 「どこかで会ったことがないかしら」 俺と同年代に見えた。控えめな服のせいか、それとも顔立ちが幼いのか、二十台後半と言っても疑われない容貌をしている。 「解らないな」 「きっと会ったことがあるわよ。あたしには解ります」 彼女は橘京子と名乗った。確かにそんな人物と高校時代に会っていた記憶がある。 しかし思い出そうとすると、なぜか意識は店内放送へと向かってしまう。俺は首を振 った。 「あの時は楽しかったわね」 京子はそう言ってバイオレットフィズのグラスを揺らした。社長室の光景がフラッシュ バックした。 「どうしたの?」 「いいや。何でもないよ。それより、俺は君をどうにも思い出せないんだ」 「無理もないわ。もう二十年近く前のことなのよ」 無理もない。その通りではあっても、何かとても大事なものを忘れてしまったような、 ひどい喪失感と虚無感があった。それらはアルコールでほろ酔い状態になった頭の上 を旋回していた。 「年は取りたくないな」 「そんなことないわ。だって避けて通れないのよ。それなら否定的になっていてはいけな いと思うの」 そうして俺たちはそこから二時間ほど昔話をした。もっぱら俺が聞き役に回ったものの、やはり彼女と高校時代に会っていた記憶は戻ってこなかった。夜半過ぎに別れ、自宅へ戻るとハルヒが静かに寝息を立てていた。俺は頬にキスをして、明かりを消した。 4 去年の秋に俺は友人と再会した。 「久し振りだな」 「そうだな」 ゲット・バック。原点回帰という言葉はまさに彼と会う時のためにある。俺が高校を卒業してから、藤原とはちょくちょく会うようになった。今となっては、彼が本当に未来人であったのかは解らない。例によって古泉が俺を掘る前の催眠効果が見せていた幻惑なのかもしれない。 「うまくやってるか」 「まあまあだな」 俺は答えた。三十半ばにして未だ子供はいないが、先日俺はハルヒにプロポーズした。彼女は俺の生涯において最も美しい輝きを瞳に宿していた。涙を一筋流した後で「喜んで」と言ってくれた。数日が経過するうちに、じわじわと喜びが身体に満ちていくのを感じた。なぜもっと早く言わなかったのだろうと思ったが、そうしていたらあの輝きは見られなかったかもしれない。黄熱灯のシェードが照らす室内で、俺たちは誓いのキスをした。高校時代に返ったかのような瑞々しい口づけだった。 「ハルヒと結婚することになった」 「そうなのか。そりゃよかった」 藤原は心底安堵したように祝福してくれた。当時の仲間で素直に祝辞を述べてくれるのは、今となっては藤原くらいしかいなかった。 外では秋雨が街路を打っていた。そのせいか、アナルズバーの店内にはあまり人がいなかった。マスターが俺の知らないジャズをかけた。三杯目の酒はほどよく体内を巡った。心地のいい夜だった。 「君はどうなんだい」 「僕か。そうだな。そろそろ再婚するのも悪くないかもしれない」 藤原は過去に一度伴侶を得、四年後に別れたらしい。ただ一人の長男は妻が引き取り、養育費は藤原が払っていると言う。 「未来では貨幣は意味を持たないんだ」 これには言い知れぬ説得力があった。ゆえに俺は特に詮索したりはしなかった。 ともかく、藤原は定期的にこの時代に来ている。高校時代からは図れぬことだったが、俺にとって現代と呼べるこの時代が好きらしい。 「古風なものも目新しいものも、瀟洒(しょうしゃ)なものも猥雑なものも溢れているからな。見ていて飽きないんだ」 「確かに。飽きない代わりに疲れやすくはあるけどな」 「それは気の持ちようだ。力加減一つでうまくやっていけるようになる。例えば――」 と言いかけて、藤原は口をつぐんだ。言いたくないことに突き当たったらしい。 「もう飲まないのか」 俺はカクテルをシェイクする女性店員に目をやりつつ言った。長めのポニーテールがスタイリッシュだった。 「飲もうか。なにせ二年ぶりだ」 そう言って彼はジントニックを注文した。俺もグラスを空にして、同じものを頼んだ。 * 「出会いはあるんだ。けれどどれも恋愛にまで発展しない。まるで色味があせてしまったみたいに、無味乾燥としているんだよ」 藤原は近況を語る途中でそう呟いた。 「その点お前は幸福だと思う。たぶん、お前たちはずっとうまくやっていける。流行に乗るように付き合って、熱が冷める前に分かれる二十台の男女とは違うさ」 「そう言われると重責に思えるな」 零時近くになって、ピアノトリオの生演奏が始まった。俺たちのいる席は、丁度ステージとは対角の位置にあった。ウッドベースと控えめなドラムに乗るピアノの音階が上っては下り、下っては上った。まるでどこか遠い場所から聞こえてくる音楽に思え、過ぎ去った二十代の日々と、その向こうに白い岸辺のように輝く高校時代を想起していた。 「思い出してるのか」 藤原はあっさりとそれを見抜いた。 「まいったな。相変わらず君は鋭い」 「そうでもないぜ。あんたは顔に出やすいのさ。いささかオーヴァー・リアクションのきらいがあるな」 「ハルヒに鍛えられたからな」 藤原と話していると、あの三年間は幻ではなかったのだと思うことができた。二年前もまったく同じことを考えた。しかしさよならを言った後で、やはり想像上の出来事だったのではないかという疑念にとらわれるのだった。 「大丈夫だ。あんたの高校時代は確かにあった。あれが幻だと言うなら、この世界はまるまる夢という名の海の藻屑になるさ」 * やがてピアノトリオが演奏を終え、まばらな拍手が鳴ってアナルズバーは閉店した。 「またな」 「ああ。今度は二年以内に会えるといい」 雨は上がっていた。藤原がタクシーを呼びとめて去っていくのを俺は見送り、その後で俺も別会社のタクシーを捕まえた。 「いやぁ、寒いですねえお客さん」 「そうですね。最近はめっきり冷え込んできました」 運転手に答えた後で、俺は彼の顔に妙な既視感を感じた。 「あの」 「はい。どちらまで向かいましょうか」 「いいえ。あの、すいませんが以前にどこかで会っていませんか?」 「私が。お客さんと? ……いいや、会っていませんねぇ」 「そうですか」 それでは、と俺は自宅の住所を告げ、やがて車は深夜の大通りを滑っていった。 まばらな街灯が等間隔に歩道を照らすのを眺めつつも、やはり彼とどこかで会っているような気がして落ち着かなかった。しかし再度問うような真似はしなかった。 * 家に帰ると今日もハルヒは眠っていた。地球上で最も安らかな寝顔かもしれない、と思った。ハルヒがこうして傍にいてくれるならば、向こう二十年くらいはうまくやっていけるだろう。 起こしてしまわぬよう、キスは避けて、一分ほど寝顔を見守った後で明かりを消した。 5 高校一年の九月だった。本当に暑い初秋だった。秋と呼ぶのもおこがましいほどだった。 「乗ってください」 俺は古泉に連れられて黒塗りのタクシーに乗った。明らかに他のお客を乗せているとは思えないハイヤー。 「今日はどこへ行くんだ」 先々月はカマドウマに始まった情報生命体を駆除するのに方々へ走り回る羽目になった。願わくばあのような厄介で煩雑な事態にならないことを、と俺は内心で呟いた。 「『機関』の任務で街まで出ます。あなたも退屈でしょうから、たまにはお付き合い願おうかと思いまして」 笑顔しか知らないSOS団副団長は言った。 「何か音楽をかけましょうか。運転手さん、お願いします」 古泉が言い終わらぬうちに、カーステレオからノルウェイの森がかかりだした。音楽が流れると、不思議なことに車はほとんど信号に捕まらなくなった。今の気分に中期ビートルズはそぐわなかったが、無粋な注文を述べるのは遠慮した。 「涼宮さんの精神が荒れ出しています」 「またか。あの青い巨人をお前は依然倒し続けているのか」 「そうですよ。慣れてはいますが、やはり億劫でもあります。願わくばあなたがもう少し彼女と親密になっていただければ――」 以降の台詞は覚えていない。聞き流したのだろう。 車は陽が落ちるまで走り続けた。高速に乗り、遠いところまで。 「到着したようです」 降りたのは四ヶ月前とは違う場所だったが、そこからそう遠くない地点だろうと見当をつけた。人通りが多く、家路につく学生や会社員がひしめいていた。 「こちらへ」 古泉は細い街路へ迷うことなく入っていった。裏通りと言って差し支えのないような、さびれた、それでいて長い道だった。途中からくねくねと折れ曲がったうえ勾配があり、ポリバケツや通りがかりの黒猫や迷い込んだ老紳士や見たこともない種類の潅木や「イパネマ娘」という名のパブの裏口やらが続いていた。古泉の後に続いていた俺は、こいつの背中がだんだん大きくなっていくような妙な感覚がしてかぶりを振った。「こういう場所は初めてですか?」と奴は訊いた気もする。しかし、何が「こういう場所」なのか俺にはさっぱり解らなかった。そもそもこれは本当に『機関』の任務なのか、だとすれば俺を連れてくる必要がどこにあったのか、今日中に無事家に帰れるのか、妹の笑顔が見られるのか、そういえば鞄を車内に置き忘れたとか、そのようなことを延々考えているうち、いつしか道は下り階段に変わっていた。まだしも明るかった裏通りは、小型のランプが左右の壁に交互に連なる黒っぽい通りへと変化した。古泉に「まだ着かないのか」と言おうとしたが声にならなかった。もはや前を歩いているのが男なのかすら定かでなかった。ひょっとしたら男装したミシェルファイファーなのではないか、ここはカリフォルニア州なのではないか、などと考えていると、とうとう前に誰もいないことに気がついた。なおも階段は地下道に変わっていて、どこか知らないところからぴたぴたと水の垂れる音が聴こえていた。なおもランプは左右交互に連なっていて、俺にはそれがまるで異世界への通行路に思えた。 「古泉。どこだ」 俺は謎の地下通路をひたすらに歩き続けながら、三度そう呼んでみた。堅いはずの壁は音をまったく跳ね返さず、俺の声は闇に吸い込まれた。足を止めようと思ったが、なぜだが身体が言うことを聞かなかった。 「どうなってるんだこれは」 頭の中でもう一人の俺が叫んでいた。壁に向かって弱々しく拳を打ちつけていた。ふと、水のしたたる音がしなくなったことに気がついた。いつからだろう。解らない。果たしていつの間にこんな現実感を欠いた迷路に迷い込んでしまったのか解らないのと一緒だ。特別喉が渇いているというわけでもないのに、なぜだかカフェ・モカを飲みたくてたまらなかった。そして俺はハルヒにもう一度会いたかった。もしかしたらもう会えないかもしれないと思い、その感覚が恐怖に似ていることに戦慄した。しかし鳥肌はたたず、暑くもなく、寒くもなければ生温い感じもなかった。今の自分が身体を持っているかどうか定かでなかった。ともすれば思考を形成する脳すら存在していないかもしれない。であるならば俺が今いるのは一体どこなのだろう。涼宮ハルヒや朝比奈みくる、古泉一樹、長門有希といった人物は本当にいたのだろうか。北高という母校は本当にあったのだろうか。今や俺は歩いているという意識を持っていなかった。動く。辛うじて近い言葉を選ぶなら、動くとか転がるとかが近い。 突然真っ白に視界が開けた。 目が慣れるまでにだいぶ時間がかかり、視覚と同時に他の感触も復活した。 どういうわけか学校の中庭に俺はいた。見渡すと、古泉が傍らで微笑をこちらによこしていた。 「俺はどうしていたんだ?」 「寝ていたようですね。体育祭の予行練習というのも退屈なものです」 そう言われて初めて古泉と、俺が体操着を着ていることに気がついた。 「初めから体操着だったか?」 「そうですよ。間もなく涼宮さんが呼びに来るでしょう」 と言うや、丁度いいタイミングでハルヒが現れ、俺たちを校庭へ促した。そして、俺はさっきまで見ていた、何か名状しがたき風景を綺麗に忘れてしまった。 * 「昔そういうことがあったんだ。今思い出したよ」 「不思議ね。聞けば聞くほど不思議だわ。どうしてあの時言ってくれなかったの」 「だから忘れていたんだ。二十年も経って思い出すとは、人間の脳は不思議だな」 俺とハルヒは冬の朝の食卓を囲んでいた。白く透明感のある朝だった。ベーコン入りの二つ目玉焼きが、こちらへ笑いかけているように見えた。俺はママレード・ジャムを塗ったトーストをかじって、椅子に乗った新聞紙に目を落とした。古泉一樹のその後が小さく記事になっていた。しかしそれは今の俺にとってどうでもいいことだった。 「やっぱりあなたは古泉くんが好きだったのよ」 「そんなことはないよ」 「そうなのよ。あたしが思うのだから間違いないわ」 やれやれ。 「今日はどこへ行こうか」 俺は仕方なく、この後のドライブへと話題を移した。 「水の見えるところがいいわ。川とか海とかね」 「どっちも歩いて行けてしまうな」 「それじゃ散歩にしましょう」 ハルヒはあっさりと予定を変更してしまった。俺は特に反対することもなく、冷めて久しいコーヒーを一口啜った。 6 目を覚ますと隣に女が寝ていた。 当時の俺は二十代であり、営業の仕事に精を出している真っ只中にあった。仕事と同様に女漁り(とまで言うのは行きすぎではあるものの)にも火がついて、このように気がつくと朝が来て隣に名も知らぬ女が寝ていることが日常茶飯事だった。 俺はトランクス一丁のままベッドから起き出して適当にラジオをかけた。アイ・フィール・ファインが流れ出した。悪くない、と思う。そのまま洗面所に行って顔を洗い髭を剃り、キッチンへ向かうと湯を沸かしてパンを焼き、卵を一つ焼いて簡素な朝食とした。殻が一欠け入っていた。女はその間眠り続けていたが、俺は無視して日常と変わらぬ朝の行動を実行していた。やがてスーツに着替えると、「鍵はポストに」と書き置きして家を出た。 * この頃の俺はまさしく仕事人間だった。 朝会社に着くと、まずは駅のキオスクで買った日経紙に目を通し、コーヒーを一杯入れて日報を打ち、それから課長に報告してオフィスを出、営業先を回遊魚のように巡回して取引先との親交を一段階深め、昼はドトールでまたコーヒーを飲んだ。大抵はミラノサンドのAからCをローテーションし、飽きるとサンドウィッチ、あるいは他のファーストフードを利用した。残った時間で書店に向かい、二日に一度は文庫本を購入していた。 しかしこの日は本を買わなかった。先日購入した「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」上下巻をまだ読了していなかった。快調に進んではいたが相応に長かったため、まだ下巻の三分の一ほどまでしか読んでいない。 午後も午前とは別の出先を巡り、途中で三十分ほど休憩を入れ、社に戻って課長に報告すると、自席に着いてデスクワークに取り掛かった。ふと、向こうの机の事務の女の子と目が合った。が逸らされた。彼女とはこれまでに七回寝た。六回目に彼女の家へ行った際、誤って精液をシーツに放出してしまい不満を買った。それが直接の原因では明らかにないが、近頃距離ができている。やがてはこのまま自然消滅するのだろう、と俺は思った。 「君」 「はい」 課長に呼ばれた。俺は席を離れて窓際へ向かう。 「例の件は考えてくれたかね」 「はあ」 「はあ、じゃないよ。部長も娘が行き遅れないか気が気でないんだから。どうかここは私の顔を立てると思って、頼むよ」 見合い話だった。部長の娘は今年で32になるらしく、本人の意思と言うよりは八割方が父親である部長の意思で、縁談相手を探しているようだった。すでに社の何人かは犠牲になったらしく、とうとう俺のところまでバトンが回ってきた。 「ではお受けします。日時はいつでもいいので、決定したら知らせてください」 「いつでもいいって君ねぇ」 「失礼します」 そう言うと俺は席に戻って仕事の続きに取り掛かった。このような日々が何千日も続いていたのだ。 * 一時間半ほどの残業を終えて家に帰ると、書き置きが見慣れぬ字体のものに変わっていた。 『どうして私がこの家にいたのかよく解らないけれど、とりあえずお礼を言っておくわ。もう会うことはないでしょうけど』 やれやれ。 俺は書き置きを折りたたんで捨てようとし、いったんやめてテレビの上に置いた。テレビは週に一度点ければいいほうだった。 * あまり来ることのないバーは、ジャズ・ピアノの生演奏が売りであるらしかった。 フローズン・ダイキリを飲んでいると、隣から声がかかった。 「暇かしら」 「忙しいんだ」 「暇じゃないの」 「まあね」 「友達と賭けをしているんだけど。どうして大人はお酒を飲むのかしら」 俺はそこでようやく振り返って彼女の顔を見た。ちょっと背伸びした大学生くらいの背格好だった。俺は彼女を仮にナズナと呼ぶことにした。 「意味がないからさ」 「へえ?」 彼女はちょっと面白そうに目尻を細め、 「意味がないからお酒を飲むの?」 「それが大人というものだよ。反対に、意味がないと気がすまないのが子供さ」 「面白い意見ね」 「ところで何の賭けだい」 「この質問に答えてくれるかどうかよ。あたしの勝ちみたいね」 「それはよかったね」 俺はマスターにスクリュードライバーを注文した。 「何か飲むかい。奢るけど」 「あたしはいいわ。もう今日は十分」 確かに彼女の顔はわずかに赤かった。 「ね。それじゃ意味があることも、反対にないこともする人はどうなるの?」 彼女の質問に僕はしばし首を傾げ、 「大人であり子供なのさ」 「なるほどね」 マスターがこの時だけ我々の方を見ていた気がする。 「あたしここ最近、自分がどうかしてしまったような気になるのよ」 「どういう意味だい」 「周りの景色がこう、速く流れていくのよね。解るかしらこの意味」 「解るよ。ミニ・クーパーに乗っているような気分がするんだ」 俺が言うと彼女はまた目を細めて笑った。 「それはだんだん速度を上げていく。しまいには特急列車、いや、ロールス・ロイスにしておこうか。ともかくそうなってしまう」 「それって遅くなってないかしら」 「そうかな。まあともかく、そういう感じだよ」 「へえ」 彼女はマスターにコーク・ハイを頼んだ。 「もういいんじゃなかったの」 「気が変わったのよ」 そこから俺とナズナは自分の小学生時代がどのようであったかを話して、そのまま彼女の家へ向かって二人で寝た。思いのほか酒が回っていたせいか、ペニスは勃起しなかった。そのほうがよかっただろう。 * 文芸部室から中庭を見ていた。 そこではハルヒ、朝比奈さん、長門有希の三名が何やら密談していた。 「どうしました。何か他のものを見ているような顔ですよ」 古泉が脇から声を発した。 「いいや、何でもないさ」 「そうですか」 「なぁ古泉」 「何でしょう」 「ミニ・クーパーに乗ったことはあるか」 「は。何ですか急に」 「いいや、何でもないさ」 以降二十年間、俺は一度もミニ・クーパーに乗っていない。 7 長門有希を捜していた。 二十代後半のことだった。その衝動は俺の胸の中をめらめらと焼く炎のように這い出でて、ディーゼル・エンジンの百倍ほどの原動力で俺を突き動かした。どういうわけか、高校を出てから十年間、俺は長門有希の存在を綺麗さっぱり忘れてしまっていた。正直に言えば今でも顔が思い出せない。イメージのそのまた残滓のそのまた破片のような、淡く儚く朧で尊い輪郭だけが、画用紙に滲んで見えなくなる雪の結晶のように、一瞬だけ表れてはまた内奥へと潜っていった。顕現と消滅を繰り替えす傍ら、何としても有希を探し出さなければならないという決心が俺の中で灼熱のマントルのように煮えていた。そうして俺は懐かしい市内へと赴き、有希を捜す日々が始まった。 * 「キョンくん、あたしと来てくれますか」 朝比奈さんに言われたのは、確か高二の秋であったと思う。その時の彼女は、何やらこれからライオンを猟銃で数十頭狩るかのような、彼女に似つかわしくない決意を示していて、俺は当惑した覚えがある。おそらくまた時間移動するのだろう、という経験則から来る予想は見事に的中し、二分後に俺はひさびさの時間酔いを経験してふらふらになった。 しかし、これまでの時間移動と決定的に異なる点が一つあった。 それは移動し終わって、酩酊感から立ち直る間に、半ば直感的に悟ることができた。何やら肌に感じる空気というか、鼻腔をくすぐる匂いというか、そのような五感、もしくはそれを超えた体感が違和を訴えていたのだ。 「朝比奈さん。ここは……?」 「未来です。十一年後の」 彼女は簡潔に述べた。俺は瞠若して辺りを見渡した。季節こそ元いた時代と同じ晩秋であったが、見ている風景とは別に、何か根本的に「違う感覚」がひりひり伝わってきた。それは気圧かもしれないし舞い散る何らかの粒子かもしれないし、はたまた街並みの一部を形作る建造物であるのかもしれなかった。 「ここに来た理由は簡単です」 朝比奈さんは俺が次の質問を考える遥か前に言った。俺は依然として眼下に広がる見慣れた、しかし決定的に記憶と違う光景を唖然として眺めていた。大気を固めて顔面にぶつけられたような衝撃があった。実際のところは実に静穏とした天候で、空のずっと高いところを遠くの山岳地帯からはぐれてきたのだろうトンビが舞っていた。しかし俺はそんな何気ない風景に釘付けにならずにはいられなかった。思えば未来に跳んだのはこれが初めてなのだ。 「未来、ですか……ここが……」 「今から未来のあなたに会いに行きます」 「え?」 「あたしたちで未来のあなたを励ますの。『頑張って』って。あたしもよく解らないんですけど、でも大切なことみたいで」 「それも例の最優先なんとかコードですか?」 「いいえ。あたしの、その……上の人が……」 そこまでで言いたいことは何となく解った、要は大人になった彼女からの伝言らしい。それがまったくの私信であるのか、俺には検討もつかなかった。 どうも現在位置が解っているらしく、未来の『俺』の元へはものの三十分で到着した。 『俺』は川沿いの、かつて朝比奈さんが俺に正体を明かしたあのベンチに座って、中 空を見上げていた。ずっとずっと遠くにある見えないものを、何とかとらえようともがいて、結局見えなかったような顔をしていた。不思議なことに、未来の自分を見たことによる感慨というか、その手の興奮は一切なかった。 「君たちは……!」 「キョンくん……ですか?」 もちろん隣に俺がいたものの、朝比奈さんはベンチに腰かける『俺』にも同じ呼称を用いた。不覚にも涙腺がゆるみかけた。なぜだか解らない。朝比奈さんの春風のような声が、まるで福音のように優しく遠く、響いて聞こえた。 「朝比奈さん……!? どうしてここに?」 俺は疑問を抱いた。『俺』は俺の未来存在であるはずなのに、どうして過去に俺がこ こへ来たことを知らないのだろう。しかし、『俺』と朝比奈さんが話をする過程で、その疑問は氷解した。ただ単に忘れていたのだ。俺にとっては信じがたいことだった。朝比 奈さんと同行したことを忘れるなんて不覚もいいところである。いっそ小突いてやりたい。そうすれば少しは記憶に残るかもしれない。だが俺はそんなことはせず、代わりに 何としても今日この日のことを忘れまいと心に誓った。 「あのぅ、頑張ってください。どういうことか、あたしにはよく解りませんけど……」 「頑張れ。今の俺はあんたをちょっと不甲斐なく思ってるみたいだ」 口をついて勝手に言葉が出てきた。ごく自然に発せられた思いだった。 すると、長い間社会人生活をしているだろう、そのまんまな風体の『俺』は、困憊していた表情をみるみる回復させて、 「ありがとう。本当にありがとう」 そう言って、何と泣き出した。俺は無性に落ち着かなくなった。朝比奈さんは母親のように『俺』に向けて心配の眼差しを送っていた。 * 今の今まで、完全に忘れていた。 記憶は合致した瞬間に、計り知れぬほど莫大な感動を俺にもたらした。 気づいた瞬間にはもう遅く、俺はでたらめにむせび泣いていた。まずは捜している長門有希の顔を思い出した。あいつは結局ただの一度も笑わなかった。笑顔の作り方を知らないままだった。そしてどこかへ消えてしまったのだ。 次に俺は高校時代の文芸部室での日々を思い出した。二年、三年と学年が上がるにつれ、まるで日増しに紅く鮮やかに色づく、この晩秋の葉のように寥々とした感傷をもたらしていた、高校時代を。 そして大学生以降の記憶が、まるで三倍速のロードムービーを見ているかのように一瞬で駆け抜けた。それは高校時代と比較して、何とも無味乾燥とした時だった。 「ありがとう。朝比奈さん……『俺』…………」 気がつくと彼女と彼は消えていた。 まるで今まで幻を見ていたように忽然と、綺麗さっぱりどこにもいなくなってしまった。 しかし俺は迷うことなくベンチから立ち上がり、長門有希の捜索を続行した。 俺は北高へ行った。有希のマンションへ行った。市立図書館へ八年ぶりに行った。他にも野球グラウンドや鶴屋山、思いつく限りのあらゆる場所へ行った。そこには確かに過去の面影があり、かつての俺たちがいた。パズルのピースをひとつひとつ確認していくかのような行路は夜中まで続いた。俺は時々壊れた水道管みたいに涙をこぼしては、高校時代を思い出した。それは魂とも呼ぶべきものを、もう一度己の中に引き戻す作業にも思えた。 しかし、長門有希を見つけ出すことはとうとうできずじまいだった。 * やがて俺は今住んでいる市街に帰ってきた。 翌日は底なしのタンクみたいに酒をあおり、夜半にひどく吐いた。そこでもまた無闇に泣いた。もう二度とあの日々は戻ってこないのだと思った。そんなこと、この十年間で一度も思わなかった。すべては移ろい、流れ、過ぎ去り、忘れゆくものだと思っていた。しかしそうではないのだ。いつかどこかで、自分にとって最も重要だった歳月を思い出す時というのが人にはあるのだと、俺はそう思った。 数年後、思い出したようにハルヒに電話をかけ、やがて結婚することになったのは、間違いなくこの時期の長門有希捜しが遠因になっていたと思う。過ぎ去った過去から、ただひとつだけ、離さずに抱きしめていることができたのだと思った。それは誰にでもできることではなかった。逃してしまった人を俺は何人も見てきた。もしかしたら俺もそうなっていたかもしれないし、あるいはこれからそうなるのかもしれない。 「どうしたの?」 俺はハルヒをずっと抱きしめていた。 セックスはおろかキスですらすることはなく、ただただ、抱きしめていた。 そうしていると、ハルヒはやがて質問することをやめて、俺の背中にそっと両手を回してくれた。 「ありがとう」 俺はそう呟いた。ハルヒに聞こえていたかは解らない。 これで俺の短く長い追想録はひとまず区切りとなる。 少なくとも俺の中で、大切な記憶としていつまでも残ればいいと願っている。 (了)
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青春十八切符というものをご存知だろうか。 日本全国のJRの普通列車に乗り放題できてしまうこの切符、こんな名前でありながら 実は年齢制限はなし、代わりに子供割引も無し。1枚で1日有効×5回分の11500円という 有効活用する事ができれば実にお得な旅券である。 何を急に言い出したのか、なんて思ってる人もいるかもしれないな。 実は今、俺の手元にはその青春十八切符が握られている。五枚綴りのチケットは残り1枚 だけ残っていて、俺の前と隣、斜め向かいに座っているそれぞれの手の中にあるはずだ。 揺れる車内で眠気に誘われながらも硬い座席では眠る事もできない。 古泉、次の目的地まではあとどのくらいなんだ? 「あと、1時間程はかかりそうですね」 お決まりの営業スマイルにため息で答えつつ、俺は再び車窓からの眺めに視線を戻した。 もうわかっていそうなもんだが俺達は今、電車で移動中だ。 一緒に行動しているのは、対面の席でこの状況の何が楽しいのかわからんが微笑を 浮かべる古泉。 その隣で壁にもたれながらうつらうつらとしている朝比奈さん。 最後に、俺の隣で読書中の長門。以上、終わり。ああ、あと俺か。 そう、ハルヒは一緒に来ていないんだ。 来て貰っても困るからな。 「退屈そうですね」 まあな。 かれこれ3時間以上こうして普通列車に乗ってるんだ、飽きない方がどうにかしてる。 「では、何かお話でもしましょうか?」 そう言ってくれるのは嬉しいが、お前の話は聞き飽きた。 「でしたら……そうですね、貴方と涼宮さんのお話、なんてどうです?」 俺とハルヒ? 世間話をするにしても当たり障りの無い話題しか話さないお前にしては珍しい じゃないか。いいぜ、聞かせてもらおう。 座りなおして聞く体制に入った俺を見て、古泉は口を開く。まあその内容は、どうでもいい 事ばかりだったので割愛し、俺達の現状を説明しようか。 事の始まりはそう、俺にかかってきた一本の電話からだった。 「お休みの所すみません」 こいつがそう言い出した場合、高確率で俺は面倒な目に合う。 だから俺は返事をする前に携帯を切ろうとし、指を電源ボタンに触れさせた所で何とか 思いとどまった。 「もしもし、もしもし?」 すまん古泉、電波が悪いんだ。なんせ田舎に居るんでな。 「お気になさらないでください。手短に言います、手を貸していただけないでしょうか?」 ここで何をだ? なんて聞いてしまえば断るに断れなくなるのはわかってる。でもまあ仕方ない、 電話から聞こえる古泉の声は切羽詰ってるようだし聞くだけ聞いてみようか。 しばらく躊躇って、ついでにため息一つついてから俺はしぶしぶ呟いた。 内容による。 結果、やはり断るに断れなくなっちまったよ。 ハルヒ曰く、それは二ヶ月遅れの五月病である。 コンピ研の部長氏失踪事件が無事解決した直後、長門はSOS団のHPに不幸にもアクセス してしまった被害者の対応に追われていた。その殆どは北高の生徒だった為すぐに対処できた らしい、しかしどんな検索結果で辿り着いたのか知らないが全く関係のなさそうな場所からの アクセスも僅かながら存在した。 その内の一つへ向かっていた長門から古泉に電話があったらしい。 「僕も長門さんから聞いた話ですので詳しい事は彼女に、すでに現地近くに居るそうです」 まあな、俺も長門の頼みだって事なら行かないわけはないさ。田舎で遊ぶのもそろそろ飽きて きてた所だからな。でもな……もう一度言ってくれ、場所はどこだって? 「岩手県の花巻だそうです」 ……外国じゃなかっただけよかったのかね、これは。 そして夏休みも始まって一週間程過ぎた現在、長門と合流したハルヒを除くSOS団のメンバーは のんびり電車に揺られてるって訳さ。 どうやら眠ってしまったらしい壁際で揺れる朝比奈さんに視線を向ける。 俺としては何も朝比奈さんまで巻き込まなくてもいいと思うのだが「本人曰くこれもお仕事ですから」 との事だ。未来人には夏休みなんて物はないのかね? 今度大人の朝比奈さんに会った時にでも聞いてみるか。 「……とまあ、簡単でしたが、僕の視点における涼宮さんと貴方の理想的関係は以上です。ここで 重要なのは貴方と涼宮さんではなく、涼宮さんと貴方の関係だ、という点です」 ああ、お疲れさん。おもしろかったよ――聞いてなかったけどな。 ようやく終わりかけたのに再び始まろうとした古泉の話を乾いた拍手で遮りつつ送りつつ、俺はまた 窓の外へと視線を向けた。 視線の下、窓際に座った長門が読んでいた本を閉じる。それがスイッチだったかのように電車は 減速をはじめ、やがて駅へと滑り込んで行った。 あ~空気が昨日と同じで美味い! なんて皮肉を言ってもはじまらないな。 殆ど無人駅と思えるような駅を出た俺達は、長門の先導でさっそく町を歩き始めた。 ここまで長門からは詳しい説明はなく、ただついてきて欲しいとの一言のみ。 先頭を進む小柄な同級生の背中を見ながら、俺は小さくため息をつく。それは不満からではなく、 こんな形だが長門が人を頼る事を覚えてきた事が嬉しかったからさ。 「あ、キョン君キョン君! これ私知ってます! 学校で習いました!」 それまでほんわりとついてくるだけだった朝比奈さんが急に興奮しだしたのは、小さな公民館の様な 建物に着いた時の事だった。入り口の壁に書かれた文字を指差して朝比奈さんは大喜びのご様子。 はいはい、今行きますよ~。 遅れ気味で歩いていた俺と古泉も足を早めてその建物に近づく。 ああ、なるほど。朝比奈さんが興奮するのも少しわかるな。 みんなも知ってると思うぜ? そこには、宮沢賢治記念館と書かれていた。 誰も居ないのか? 夏休みだというのに、その建物の中には誰の姿も無かった。入り口には休館中の札は出てなかったと 思うんだが。 「……気をつけて下さい」 何故か小声で、ついでにやけに近い位置で古泉が囁く。お前いつのまに近寄ってたんだ。 「キョン君これ! 凄いですー! 銀河鉄道の夜の自筆の原本って!」 凄いですね~。 楽しそうな朝比奈さんはとりあえずおいといて、だ。 気をつけろって……何にだ。 「詳しいことはまだわかりません。ですがどうやら、ここはすでに通常の空間では無いようです」 そうか、頑張ってくれ。俺が気をつけた所でどうにもならない。 「了解です、とにかく僕か長門さんから離れない様にお願いします」 突き放しておいてなんだが、お前も大変だな。 足手まといにしかならない俺は、やっぱり来なかった方がお前は楽だったんじゃないのか? 「そう言ってもらえるだけで本望です」 やけに嬉しそうに微笑み、古泉は周囲の警戒に戻って行った。 さて、俺はどうすればいいんだろうな? 建物の中に入ってからというもの、長門はピクリともせず目の前の空間を見つめたままで 固まっているし、朝比奈さんはここへ来た目的などすでに覚えていらっしゃらないらしく熱心に見学中だ。 一般人を自負する俺としては……そうだな、何の役に立たないだろうが古泉に付き合ってやるとするか。 展示物の前から動きそうにない朝比奈さんを長門に頼み、俺は古泉と一緒に建物の奥へと進んできていた。 「僕と一緒でよかったんですか? 長門さんの所で朝比奈さんと一緒に待っていても良かったんですよ」 そうだな、俺もそう思う。 だからといって、お前ばっかりに働かせるってのも何か悪いだろ? 「ですが、正直ありがたく思っています。機関でも任務の関係上、僕は単独行動ばかりだったので、 誰かに一緒に居てもらえると心強いものです」 そうかい。 何故か照れ笑いを浮かべる古泉を眺めながら歩いていると、その変化は突然訪れた。 照明の少ない薄暗かったはずの通路は急に明るくなり、コンクリートだったはずの壁と床は姿を消して変わりに そこにあったのは……まじかよ、これは。 足元の床からはごとごとごとごと、俺と古泉が歩いていたはずの通路は今はどう見ても古い列車の中で 乗っている俺たちだけ。しかもどうやらこの列車はどこかへ向かって走りつづけているようだった。 通路沿いには小さな黄いろの電燈のならんだ車室が並び、その一つの扉が開いている。 「これは……どうやら罠にかかってしまったみたいですね」 そうだな。で、これはあの扉に入れって事だと俺は思うんだがどう思う? 「ここまで大掛かりな罠を仕掛けておいて危害は加えてこない、現状を見る限りは相手の意図にそって行動した 方が無難だと、僕も思います」 いや、俺はそこまで深く考えての発言じゃなかったんだがな。でもまあ、何故か知らないが俺はここが危険な 場所だとは思えないんだ。 驚いた顔で古泉は周りを見回す、そして確かめるように俺に肯いた。 「……そうですね、確かに敵意は感じられません」 車室の壁を見てただ立っていてもはじまらない、俺は一つだけあいていた扉の中へと入っていった。 部屋の中は、座席が二つと二段になった寝台があるだけのこじんまりとした作りだった。ただ、部屋の内装は 凝った内容で車室の中は、青い天鵞絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向こうの鼠いろのワニスを塗った 壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っていた。 なあ古泉、俺は嫌な事を一つ思い出したんだが聞いてくれるか? 「はい。何でしょう」 頭の中の思い付きをまとめながら狭い部屋の中で俺は落ち着き無く歩き回る。 俺は今更ながらここが何なのか思い当たってしまった、もしもそれが正解なら全財産を払ってでもこの列車に 乗りたいという人も居るだろうし、頼むからこの列車には乗せないでくれって嘆く人もいるだろう。 ちなみに俺は後者だ。 なあ古泉、この列車はもしかして……銀河鉄道って奴なんじゃないか? 一瞬目を見開く古泉、そしてすぐに車窓へと近づくとそこには真っ暗な暗闇とところどころ光っては消える輝きが どこまでもどこまでもどこまでも……やっぱりか! 逃げるぞ古泉! 「え、どうしてですか? これが銀河鉄道なら機械の体をただで貰える星に」 違う! お前が言ってるのは別の銀河鉄道だ! 急いで車室を飛びだした俺はそのまま列車の進行方向をは逆方向へ走り出した。 「待ってください、何故そんなに慌ててるんです?」 いいか、銀河鉄道には色んな解釈があるんだ。それはただの空想旅行って説もある、他には実際の旅行に 空想要素を加えた物だとかな。 どんどん最後尾へ向かって車両を走り抜けていくが、中には誰の姿も無かった。それが俺の不安をさらに煽って いく。 「それが……何かまずいんですか?」 なあ古泉、部長氏の時の事を覚えているか? 「コンピ研の部長さんですか? ええ覚えています」 SOS団のシンボルマークを見て、あの人の心の中で恐怖の対象だったカマドウマガが異世界に居た。じゃあ この列車がもしも、この建物に居た誰かが感じた恐怖の対象だったとしたらどうだ? 「この列車が恐怖の対象?」 ああ。銀河鉄道のもう一つの解釈、それは死者を送る列車だ。 古泉、お前の絶句する顔なんてはじめてみたぜ。できれば見たくなかった、やっぱりお前はいつも余裕でいて くれないとこっちの精神が安定を保てない。 ついに最終車両に辿り着いてしまった、最後部の扉の窓の先には漆黒の闇があるだけで何一つ見る事はできない。 「下がってください!」 その言葉に俺は走る速度を落とし、いつのまにか赤く光る弾を掴んでいた古泉に先を譲った。 勢いよく投げつけられた赤い弾は最後尾の扉をいともたやすく粉砕し、闇の中へと消えていく……。 出来上がった空間で俺達が見たのは、星ひとつ無くただ真っ黒なだけの空間だった。当然足元にあるはずの 線路も見えない。 「聞こえる?」 その声は、列車の中に取り付けられたスピーカーから聞こえてきた。誰であろう俺がその声を間違えるはずは 無い。 長門! ここに居るのか? 「居ない。ついさっきまで貴方と古泉一樹の存在はこの世界から消えていた、貴方は今私とは違う世界に居る」 それって……ああ、古泉が扉を壊してくれたからか。 「長門さん、どうやら彼と僕は誰かの罠に閉じ込められてしまったみたいなんです。助けてもらう事はできませんか?」 「……今やっている。でも、後数分時間が必要。それまで、その空間で決して恐怖抱いてはいけない」 恐怖するなって……俺達がか? 「そう」 はっきり言おう、俺はあの車室を飛び出した時からびびっていて今もそうだ。 だからずっと迷信や恐怖体験なんかを思い浮かべてしまっていたし、明確にイメージもしてきてしまった。 ……ずしん。……ずしん。 「……何か、聞こえましたか」 ああ。 ……ずしん。……ずしん。……ずしん。 その音は先頭車両の方から聞こえてきていて、徐々に大きくなってきている。 「えっと、その」 皆まで言うな、間違いなく恐怖したのは俺の方だ。ついでに言えば何を考えていたのかも思い出せる。 ……ずしん。…ずしん。ずしん、ずしん。 「参考までに、どんな物を思い浮かべてしまったんですか?」 額に汗を浮かべつつ、再び赤い弾を作り出した古泉が聞いてくる。 聞いて笑えばいい、俺は最初あれが大好きだった。でも今はあれが怖い。 ずしん、ずしん、ずしん。……どっどっどっどっどっどっどっど! その足音? はついに走る音へと変わり、連結部の窓の向こうにその姿がぼんやりと見えてきた。 そいつが何なのか聞きたいんだな。 「ええ」 俺が怖いのはな、世間的には子供のアイドルなんだが、ネットの中では本当の解釈って奴を夏になるたびに 議論されている架空の生き物。名前は… 俺達とそいつを塞ぐ最後の扉が叩き壊された瞬間、そいつは自分の名前を叫んだ。 「ドゥオ! ドゥオ! ……ヴォロー!」 トトロだ。 巨大な灰色の熊の様でいて、愛らしい瞳。ウサギの様な耳に小動物のような鼻。そうだな、妹が見れば即座に 抱きついているだろうよ。そいつはどこまでもトトロだった。 「こ、これが怖いんですか?」 ええい笑うな、そして油断するな。 「え?」 驚いた顔で固まっていた古泉を掴んで後ろへ飛ぶ。一拍後、俺達が居た床にトトロの前足が突き刺さっていた。 「な、なんでトトロが凶暴なんですか? 大人しくて優しい生き物なんじゃ」 そうだなその意見が普通だ、俺がひねちまってるんだろうよ。 古泉、簡単に言うぞ。あれが俺の想像の中のトトロならあれは死神だ。 「え、なんです? 死神?」 そう、職業的な意味じゃなくて本質的な意味でな。そんな解釈をしている奴らも居て、俺はこの列車が銀河鉄道 だったら死神がいるんじゃ? って考えちまったんだ。 どうやらトトロは、俺達が居るのが最終車両だと気づいたようだ。逃げられる心配がなくなったのか、巨体を揺らして じりじりと俺達と距離を縮めてきている。 古泉、こんな時にどうでもいい事だがな。 「なんでしょう?」 お前、ハルヒの事が好きなのか? 「え?」 張り詰めていた古泉の顔から緊張が消える。 悪かったなこんな時に変な事を聞いて。 「……気になります、か?」 どうだろうな、とりあえずここは沈黙で返しておくとしよう。 「ここから無事に戻れたら、お教えします。約束します」 笑顔を取り戻した古泉の手から赤い弾は放たれ、弧を描いてトトロへと襲い掛かった。一瞬で到達したその弾は トトロの腹にめり込んだものの、そのまま何事も無かったかのように消えてしまう。 やっぱりこいつは死神だ。俺達を見て、トトロは確かに微笑んだ気がした。 おいおい、絶対絶命かよ? どうにもならない現状に逃げ出したい所だが、逃げ道も隠れる場所もありゃしない。 そんな窮地を救ってくれるのはやり…… 「後少し」 突然響いた長門の声に、トトロは驚いて後ろを振り向いた。しかし声の主の姿は見つからず、苛立つように椅子の陰や 壁を叩き出している。 いいぞ、そのまま俺達の事は忘れていてくれ? いくつかの椅子が原型を留めない程に壊された後、トトロは苛立ちをぶつける相手を変える事にしたようだ。 今度は追い詰めるなんて悠長な動きじゃない、のしのしと巨体を揺らして一気に近寄ってくる。 どうする? ってどうしようもないんじゃないのか? 反撃の手段も逃げる出口も見つからないまま、俺達はとうとう車両の最後尾まで追い詰められてしまった。 すぐ後ろの空間からは列車の走る音がやけに大きく聞こえてきて、俺は思わず近くにあった壁を強く掴んだ。 なあお前、俺達が落ちたらお前の食事はなくなるんだぞ? なんて説得が通じそうな相手にはどう考えても見えない。 「間に合った」 その言葉が聞こえた時、俺達とトトロとの距離はすでに5メートルもなかった。 長門! どうすればいいんだ? トトロの鼻息が聞こえそうな状態で、息を殺して長門の続く言葉を待つ。 「そこから飛び降りて。今すぐ」 え、今なんて。 思わず振り向いた先には、やはりインクを零した様な闇が広がっているだけだった。 「聞こえなかったんですか? ここから長門さんはここから飛び降りる様に言っています」 俺の手を握り締める古泉、ええい変な笑顔を浮かべるんじゃない。 とびかかってきたトトロの手から逃れるように俺と古泉は後ろに飛びのき、地面との接点を失った体は 暗闇の中へと吸い込まれていった。 一瞬で小さくなる電車からもれる光、そして天へと登っていく銀河鉄道。 ――いつか、俺もあの列車に乗る事になるんだろうか? まあそいつはまだまだ先のはずだ、トトロ恐怖症は その時までに直しておけばいいよな。 エピローグ 「あ、お帰りなさい」 何事も無かった様な顔で俺と古泉が戻った時、笑顔の朝比奈さんは、俺達と別れた場所から一歩も動いておらず、 長門も首の向きを変えただけでやはり立ち位置に変化は無かった。 「中の様子はどうでした? 何か見つかりました?」 そうですね、ここって意外と怖い所でしたよ。 「え、そ、そうなんですか?」 ええそりゃもう、しばらくジブリの映画は見れそうにありませんね。 顔中にクエスチョンマークを浮かべる朝比奈さんを古泉に任せて、俺は長門の元へと歩いていった。 ありがとうな。 「今回の出来事は私のミス。危険度はもっと低い場所だと考えていた」 めずらしく落ち込んでいる長門の頭をぽんぽんと撫でてやる。 気にすんな。それで、もうここは大丈夫なのか? 「大丈夫、行方不明だったこの建物の館長は自宅の自室で目を覚ました所」 ここでも用事は終わったのだろう、長門は古泉に小さく肯いてみせてそのまま出口へと歩いていく。 なるほどね。……なあ長門、一つ聞いてもいいか? 「何」 ここの館長は、何で銀河鉄道が怖かったんだ? 俺みたいな経緯で変な知識を仕入れてしまったって事なのかね。 しばらく沈黙した後、静かな口調で長門は呟いた。 「館長が銀河鉄道を恐れた理由は本人にしかわからない。ただ、あの銀河鉄道はこの世界にも実在する」 ちょうど外に出たところだった俺は思わず空を見上げた。 ……長門、あんまりびびらせないでくれ? そこには夕焼けに染まりかけた空があるだけで、他には何も見えなかった。 銀河鉄道の夜 トトロ ハルキョンについて語る古泉 終わり その他の作品
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1 見知らぬアナルの話を聞くのが猛烈に好きだった。 ある時の俺は大学生であり、適度に遊び、適当に酒を飲み、セックスをし、音楽を聴いた。 「どうにも合わないな」 マジカル・ミステリー・ツアーのCDを止めた俺は嘆息し、窓の外を見た。ちょうど昼前で、曇り空に太陽が輪郭を曖昧にした光をぼんやりと放っていた。 俺はシステム・キッチンに出向き、昼食にコーヒーを淹れ、BLTサンドとポテト・サラダを作った。テレビをつけると、ちょうどアナウンサーがベルリンの壁跡地から歴史にまつわる薀蓄を披露しているところだった。 「やれやれ」 俺は不意に古泉のことを思いだした。古泉一樹は高校時代の友人であり、ガチホモだった。奴は高校の男子をあまねく掘りつくし、俺も掘られかけ、何回かは実際に掘られた。 思い出せる限りカウントすれば、奴は315人の男子を掘り、俺を158回掘ろうとし、そして実際に32回掘った。 今頃奴は何をしているのだろう。卒業と同時に海外に渡ったと聞いたが、それがどこなのかまでは聞かなかった。あいつならこのニュース画面に映っていてもおかしくない。 * 猫について話す。 シャミセンという名の猫を飼っていたことがある。シャミセンは稀有なオスの三毛猫であり、高校時代の奇矯な部活動のおかげで当時の俺が飼うことになった。 シャミセンは日に二度我が家で飯を食べ、秋の一時期人の言葉を喋った。彼は延々言語の不完全性について講釈をたれ、その期間俺は人の話を聞くことに対し軽くノイローゼになった。 しかし、冬が来る頃シャミセンはぱったりと喋るのをやめた。以来一度も人間と話したことはなかった。さらにシャミセンは俺が高校を出ると同時に行方をくらまし、以来一度も家に帰ってこなかった。 * 七年間、ということを思う時、俺はいつも営業課長の言葉を思い出す。 「七年間は長すぎる。それはいくら年を取っていても変わらない」 そうだろうか。そうなのかもしれない。しかし当時二十五だった俺には解らない話だった。今ならどうかと言えば。やはりまだ確信は持てない。 時間の感覚は確かに速くなり続けていた。高校時代、先輩の朝比奈さんに聞いたところによれば、人間の体感時間の加速こそが、タイム・トラベルを実現するための大きな一歩であったらしい。 やれやれ。 確かに時間の流れは速い。三輪車を漕いでいたのが、やがて自転車になり、バイクになり、自動車になる。あるいはそれは気がつけば新幹線になっているのかもしれないし、ジャンボ・ジェットになっているかもしれない。 人の体感時間が加速する理由は、記憶の蓄積にあると誰かが言った。ならば記憶喪失になれば子供時代に戻れるだろうか。 そう古泉に話すと奴は、 「三秒であなたをいかせる自信があります」 と述べたので、俺は首を振った。やれやれ。 この世のあらゆる問いは形而上学的なものであるかもしれない。 例えばケツの穴が空間であるか存在であるかというのは、まさしく形而上学的な問いに過ぎず、議論するだけ無駄というものだ。それぞれに解釈があればいい。 「そうね。あなたが今まで何回不倫したのかということと同義だわ」 妹はある時突然そんなことを言った。俺は大いに当惑したが、そんなこともあるだろうとしまいには自分を納得させた。そうせざるをえなかった。 妹は大学に入ると同時に三足跳びの急成長を見せ、その頃にはもはや昔の面影はどこにもなかった。俺に対する呼称はお兄ちゃんからキョンくん、最後に「あなた」になった。まるで夫婦みたいだな、と言ったら、 「すべての物事は変わっていくの。そしてそれは止められないわ」 その通りだと思う。そうでなければならない。 2 スプートニクの変人 2歳の春にいつきは初めて恋に落ちた。深遠なアナルをどこまでも深く掘り進むイチモツのような激しい恋だった。 それは行く手のおとこどもを跡形もなく掘りつくし、片端から絶頂に押し上げ、理不尽に引き戻し、完膚なきまでにやりつくした。 そして勢いをひとつまみも緩めることなく海洋を渡り、ストーンヘンジをどたんばたんひっ倒し、ペルシャ湾を気の毒なイルカごとついでに掘って、アラスカのオーロラとなってどこかのエキゾチックな針葉樹林をまるごとひとつ同性愛者にしてしまった。 見事に記念碑的なゲイだった。 恋に落ちた相手はいつきより42歳年上で、独身だった。さらにつけ加えるなら、おとこだった。もっとつけ加えるなら、ダンディだった。 それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほも)すべてのものごとが終わった場所だった。 * という話を転校してきた古泉に聞かされた時、俺はとうとう自分の頭がおかしくなったと思った。 あまりの衝撃にそこらにあった中庭の丸イスを手当たり次第になぎ倒し、冷めたコーヒーを飲み干し、頭をかきむしって今のをなかったことにした。 「お察しの通り、ガチホモです」 しかし現実は目の前にあった。依然として横臥していた。 それが俺と古泉一樹の出会いだった。 七年間、ということを俺は思った。 七年間、あらゆる物事が俺の前を通りすぎて行った。それは入れ替わるバーの客のように、あるいは回転ドアを行き来する人々のように、常に絶えることなく俺の前に現れ、通過し、去っていった。 そのなかには宇宙人や未来人や超能力者が含まれていたこともあった。 あるいはごく普通のサラリーマンだったり、主婦だったり、OLだったり、果てはツナギを着た男性だったりした。 家に帰ると、今朝のテレビがつけっぱなしになっていた。 ニュースはパレスチナ自治区の情勢を緊迫感とともに伝えていた。さすがにそこに古泉はいないだろう、と俺は思った。 「ある日突然、僕は自分の性癖と力に気づいたんです」 それが奴の告白だった。そして俺は三秒後にヴァージンを喪失した。 俺はテレビを切ると、ボンゴレ・スパゲティを作るべくキッチンへ出向いた。 その前にCDラックからスガシカオのSMILEを取り出してかけた。 「ねえ、明日――」 ハルヒがいつかそんなことを言っていた気がする。 しかし今俺のところに彼女はいない。高校時代の友人は誰一人近くにいない。 それらはすべて過去の出来事として記憶の中に沈み、遠くへ去っていった。 しかしながら俺は思うのだ。 あいつらは今何をしているのだろうか、と。 3 図書館奇男 図書館はとてもしんとしていた。本が音を全部吸い取ってしまうのだ。 俺は長門有希と待ち合わせをしていたのだが、宇宙人の同級生は時間になれど現れない。 変わりに変なおとこが現れた。 「お前の探し物はこっちにあるぜ」 男は言った。男には顔がないように思われた。いや、あるのだが、顔を構成するパーツのひとつひとつ――目、鼻、口、耳といったそれぞれが、ひどくいびつなのだ。 長門がいるのだろうか、と思った俺はおとこについて行った。 「ちょうどいいのが入ったところなんだよ」 おとこはそう言った。よく考えればおかしな話だったものの、俺は別段不思議に思わなかった。 おとこは図書館の地下へと俺を導いた。ほんの数分のうちに、くねくね曲がった道やら階段、T字路などをひたすらに進んで、図書館にいるという実感はどこかへ吹きとんだ。 どう考えても普通の市立図書館にこんな地下道があるはずがない。俺はようやく男に質問した。 「本当にこっちに俺の探し物があるのか?」 おとこは笑っただけだった。 俺は地下に閉じ込められた。そこは牢屋のような場所だった。 「ここでお前はアナルをくにゃくにゃ掘られるんだ」 おとこは俺を閉じ込めてそう言った。俺はだまされたのだ。 十日ののち、俺はアナルをくにゃくにゃ掘られるのだという。これでは幽閉だ。今ごろ長門有希はどうしているだろう。俺が失踪したことに気づくだろうか。 そうして七日が経過した。光を見ていた日々が、もうずっと遠くのどこか、触れられない場所にあるように思われた。 〈お困りのようですね〉 聞き覚えのある声、というよりはささやきが記憶の片隅からよみがえった。それは古泉のものだった。 〈こう見えて僕は超能力者ですから、こんな場所からあなたを連れ出すことくらい造作もありません。もちろん代償として一掘りいただきますが〉 「断る」 〈相変わらずあなたも頑固なお人だ。ですが考えてみてください。僕と、あの見知らぬおとこ、どちらかに掘られるとすれば、どちらが得策か〉 「長門が俺を助けてくれるはずだ」 〈彼女は来ませんよ。なぜなら僕が――〉 「何してやがるんだ」 おとこが鉄格子の向こうから現れた。今やおとこは筋骨隆々という姿をしていた。 〈おや。しょうがありませんね〉 結局、俺は古泉に一掘りやられることで外に出た。 図書館の人に訊くと、たくましいおとこも、薄暗い地下室もどこにもないと言う。古泉もどこかへ行ってしまった。 長門有希も図書館で待ち合わせた覚えなどないと俺に告げた。何もかも俺の勘違いだったのかもしれない。 4 ハルヒと海に行った。 休日の朝、突然電話がかかってきて、 「今から支度して。いいえ、しなくていいから早く来て」 その三十分後に我々はバスに乗っていた。 高校生活も終わりに近づいていた。 朝比奈先輩は未来へ帰り、長門有希は宇宙へ戻り、古泉一樹は卒業を待たずに海外へ飛んだ。後には俺とハルヒしか残らなかった。 初春のやわらかい陽光がバスの窓から照らしていた。車内にはほんの二、三人しか人がいない。 「すべては過ぎさってしまったのね」 ハルヒが言った。まったくその通りだと俺は思った。 海は晴天の下でどこまでも続いていた。地球が丸いため、やむなく便宜的に空と境界線を設けているにすぎないといった風情だった。 我々の街から南へ下れば、歩きでも海には出られる。しかしハルヒはバスに乗って北へ向かった。そしてここへ到着した。 「えいっ」 ハルヒは浜辺に転がっていた鋭角な石ころを力いっぱい投げた。豪速球となった石ころは、一度も水を切ることなく沈んだ。水面から高く飛沫が上がった。 「ああもう、おしいわね」 ハルヒはそれから何度か石ころを投てきし、そのすべてが水を切ることなく海中に沈んでいった。 途中、どこかの漁船が挨拶するように汽笛を鳴らした。それは長く、遠くまで響いた。どこかの岬に灯台があれば、きっとそこまで届いていただろうと思う。 「えいっ。ああもう、どうして跳ねないのかしら。えいっ」 俺はほとんど何も言わずに、ハルヒが石ころを放つ様子を眺めていた。その間、高校入学からしばらくのうちにあった様々な出来事が、断片的なピースのように記憶の水面に浮き上がった。 時に俺たちは雪山にいた。あるいは夏の日射しが照らす孤島にいた。 あるいは高校の文化祭でバンド演奏を俺が聴いていた。生徒会とひと悶着あった。新入生を歓待した。団員全員で映画を撮った。 それらはみな、二度と戻ることのない時間の彼方へと去っていくのだ。そう思った。もしかしたら、ハルヒも同じ事を思っていたかもしれない。 「キョン、飽きたわ。帰る」 「そうか」 帰りのバスを待っている間、ハルヒは二分間だけ、俺の隣で泣いていた。 高校を卒業した俺は大学へ進み、ハルヒとも疎遠になった。 友人は街頭の広告のように一新され、俺は彼らと長くも短くもない時間を共にした。 しかし、あの高校時代のような時間は、一瞬たりとも戻ってこなかった。 俺は繰り返す毎日の節目節目で、文芸部室での何気ない会話や、風景を思い出した。 いくら思い出しても、やはりそれは戻ってこなかった。 5 記憶を遡ることで得られる映像は、中学生時代のものが最古だ。 それも中学三年より昔のことはほとんど思い出せない。幼少期の記憶といえば、年上の従姉妹が、記号化された断片のように頭の片隅に残っているだけである。 まあそれはいい。肝心なのは中学三年の頃の記憶だ。 そこには佐々木という名の女子が出てくる。自分のことを「僕」と呼ぶ、少し風変わりな女の子である。 しかし当時の俺は彼女のことをそこまで実際的に――現実的に、と言い換えてもいい――風変わりだとは思っていなかった。 大抵の場合、そうした観念は時間の経過による認識の変化とともに、ある程度の客観性を持って思い返すことができる。 「キョン。君は何を持ってして『今自分がここにいること』を把握しているかな?」 哲学的な問答だった。佐々木はこのような問いかけをほとんど日常の些事同然に投げかける少女だった。 彼女は休み時間にヘーゲルとカントを読み、そうかと思えば自然科学にまつわる諸々の学説をそらんじ、不意に自由恋愛に関して一石を投じるような懐疑論を唱えた。 おかげで(と言うべきだろう)、俺の知識はこの時期を境にひどく偏狭なものになり、自我形成に少なからぬ影響を及ぼした。少なくとも今はそう思っている。 「そんなもの解らない。今こうして話していることが理由じゃないか」 「『我思う、ゆえに我あり』か。ふむ」 そう言って佐々木はまるまる十分思索にふけり、そのあともう十分かけて考察結果を俺に披歴するのだった。 また、先にも述べたように彼女はジェンダーによる恋愛というものをまるごとすべて放てきし否定した。 佐々木は理性によりすべてを自制しているようであった。しかし、その反面彼女はひどく蠱惑的な少女でもあった。 まず顔立ちが麗容であった。同世代の女子より大人びている。鼻梁はすっと通り、大きな瞳は長い睫毛に縁取られて輝いていた。 特に唇がつややかであり、当時の俺は三秒以上彼女の口元を見ることを危険なものだと自警していた。 佐々木が自分の考えを述べる際、微細に動く彼女の唇を奪う妄想が、何度か俺の頭を駆け抜けた。 ちょっとした仕草にも彼女のあてやかさは見て取れた。いや、感じ取れたと言うべきだろうか。そこには何か官能的な含みのようなものがあった。 もちろん彼女は意識していなかっただろうし、当時の俺もそれが何から来るものか解っていなかった。 彼女が指先を顎に当てる時、あるいは人差し指をすっと立てたり、人に握手を求める際、目に見えない光のようなものが発せられていた。 あいにくそう呼ぶほかない。それは俺の内奥にある、こそばゆい箇所をくすぐるような危うさを伴っていた。 普段はまっすぐ延びている繊維の先が、ふとした拍子に曲がり、それが抗しがたい力によって次第に歪められていき、しまいには帰ってこられない、そんなイメージがあった。 佐々木は中学三年としては平均か、やや小さいくらいの胸のふくらみを有していたが、俺はそれを頭の中で「存在しないもの」として扱わねばならなかった。 さもなければ、当時の我々の間に友情は成立しなかっただろうし、俺が今ここにいることもなかっただろうと思う。 佐々木とは高校の時点で別々になったが、高二の初めに再会した。 彼女は一年の間に、自らの持つ目に見えない輝きを、意識か、あるいは無意識によって調節できるようになっていたようだ。 再会してすぐ、俺は佐々木の外見に対して「ごくまれにいる美人」という認識にしか至らなかったからである。 しかし、今にして思えば、彼女は明らかに中学三年次に持っていた己が特性を扱い、隠していた。 回想のなかでだけ、俺は佐々木に告白する場面と、その先にある未来を描いた。それはまったくもって無意味な想像だった。 6 橘京子に呼び出されたのは、冷え込む高二の秋の夜だった。 古くからある探偵小説に出てくる街並みのように、秋雨で辺りは霞みがかり、まばらに通る人のシルエットは街頭に薄くぼやけた。 俺は最近購入したダッフル・コートを着込み、他校の元超能力者の女を待った。 「お待たせしました。行きましょう」 まったくの突然に彼女は現れた。 橘京子という女は平素から笑みを絶やさぬ人物であったが、この時は表情と呼べるものをほとんど浮かべていなかった。 我々は雨に煙る街を連れ立って歩き、レイト・ショウをやっている映画館に入った。 映画館は時代の感覚を希薄にするつくりをしていた。 入り口は歴史を感じさせる赤レンガと、深緑色の小さなアーケード。扉は黒に近い茶。取っ手のメッキは剥げかかっていた。 中に入ると、昭和初期の社交界を思わせる瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいのロビー・ホールがあった。カーペットはワイン・レッド。 そこはとても小さな空間だった。ことさらに印象的だったのは、俺と橘京子以外に誰もいなかったことだ。 「チケットを二枚」 高校生が入場するはずはないので、当然大人料金である。深夜割引を含めてもやや高い。 チケットカウンターには木造の遮蔽壁のようなものがあり、小窓の向こうには黒い闇があった。橘京子が代金を置くと、それはふっと向こうに消え、代わりにチケット二枚が出現した。 上映はすでに開始されている。我々は二つあるシアターの一つに入った。客は三名ほどいたが、誰も映画を見ていないようだった。 暗い空間に、青い、焦点の定まらない光がぼんやりと照り、それがまた俺の感覚を蒙昧(もうまい)なものにした。 俺と橘京子は中央端の席に座った。後列の反対側から、カップルの押し殺したような嬌声が聞こえたように思った。しかし俺はそれを確認しなかった。 もう一人の客である中年男性は、我々の一列前、中ほどの席で画面に見入っていた。 しかし、彼の視線は映画というより、その向こうにある何かに当てられていた。男性は生気に乏しく、この世の存在ではないようにも見えた。 席に落ち着いた俺と橘京子は、三十分ほど映画鑑賞にふけった。 モノクロのフィルムは、どういうわけかやはり青みがかっていた。音声はところどころ穴が開き、焦がしたようなノイズが時折混ざった。 欧州のどこかで、男女が恋愛に落ちていく様が描かれていた。街はパリであったかもしれないし、ロンドンだったかもしれない。正確には思い出せない。 「すべては終わりました」 橘京子は、不意にそんなことを言った。 そうか、と俺は思った。すべては終わったのだ。 「日常がやってきます。あたしたちはそこへ戻っていきます」 青い光が一段と強くなったようだった。スクリーンは光の強さでほとんど直視できなくなり、周囲にいたカップルと中年男性の気配はどこかへ消失した。 「さよなら」 確かに、彼女はそう言った。そして、どこかへ消えた。 俺が橘京子に会うことは、それから何年もなかった。 7 仕事が終わって帰宅すると、長らく置物となっていた自宅の電話が鳴った。 「もしもし」 『もしもし』 俺は突如強烈な既視感を覚えた。眩暈(げんうん)感にとらわれ、立っているのがやっとだった。俺は額をおさえ、吹き出す汗を拭った。 『お久しぶりです。頃合いだと思ったのでね。電話させていただきました』 古泉一樹だった。記憶している高校時代の声とまったく変わらなかった。 「何の用だ」 『おや、七年ぶりなのにその挨拶はあんまりですね。これでも苦労したんですよ、ここまで来るのに』 どこにいるというのだろう。 『残念ですが、それを伝えるわけにはいきません。情報が漏洩した結果、僕の命が危機に晒されるということもありうるのですよ』 特別危急を告げる口調でもなかった。 「元気か」 何とか考えて出た言葉がそれだった。俺のほうは元気とは言えない。 『ええまあ。おかげさまで刺激的な毎日を送っていますよ。あの――』 ノイズが入った。何も放送していない帯域にラジオの周波数を合わせたようなノイズだった。 『失礼。とにかく元気です。今月に入ってから、すでにおとこを180人ほど掘りました』 俺は薄暗い室内にかかるカレンダーの日付を、目を凝らして確認した。七月の三日だった。 やれやれ。 『高校時代と比べてどちらが魅力ある生活かといえば、どうでしょうね。主観としてはこちらでしょうか』 古泉は聞いてもいないことをべらべら話し始めた。俺は床にあぐらをかいて座り、持ち帰った仕事の資料に目を通し始めた。 『ああそうだ、すずみ――』 またノイズが入る。今度は先刻よりも強かった。まったく何も聞こえない。 『なんです。お解りですか?』 「すまない。聞こえなかった」 『――――』 またノイズが入る。これでは通話にならない。 『というわけです。彼女はまだどこかにいるのですよ』 「彼女」が誰のことを指すのか解らない。 『おや、もうこんな時間ですか。失礼ですがまたいつか。ええ、きっと』 「そうか。何事もほどほどにしとけよ」 『はは。解ってますよ』 ノイズが発生した。三度止むころには、電話が切れていた。 「彼女」というのは恐らくハルヒのことだろう、と俺は思った。二年前に失踪したハルヒの。 8 圧倒的なまでの夏が、俺の周囲にあるすべてだった。 蛙鳴蝉噪という四字熟語の元になるかのように、セミの鳴き声が反響していた。 大気はむっとするほどに湿気を帯びて、半袖ワイシャツ一枚でも暑すぎるほどだった。 空はたいへんに晴れ渡っていて、遠くに幻の城のように入道雲が立ち込めていた。 やれやれ、という言葉では、何か決定的なものが欠けてしまうように思われた。それほど果てしない存在感とともに夏があった。 バス停に降り立った俺は持参した地図を確認し、目指すべき方角を見定め、歩き出した。 大学を出た俺は就職し、それから二年が経過していた。 あらゆるものごとはよりいっそうの速度とともに後方へ去っていく。 たとえば食べ残しのシナモン・ロール、二回ツケたままなおざりになった飲み会の勘定、貸したままになったラバー・ソウルのCD、約束をしたままついに再会しなかった女性など。 その中には一般的な現実とはおよそかけ離れた存在――宇宙人や未来人や超能力など――もあった。 一本の電話がかかってきたのは昨日の夜九時だった。 坂本龍一の青猫のトルソを聴いていた俺は、CDプレイヤーの停止ボタンを押し、受話器を取った。 「もしもし」 『……涼宮ハルヒがいなくなった』 何者かの声がした。しかし俺はそれが誰だか解らなかった。 『行方不明になった場所を言う。そこへ行って』 端的に告げた声がここからほど遠い海辺の名を知らせた。俺は慌ててメモを取った。 『……』 俺が何か思い出しかける頃、電話は切れた。 いつだったか、二人で出かけた海とは様子が違った。 そこはどこか西洋的な風情を持っていて、ここが日本であることをしばし忘却させた。 高さのある断崖の縁には、真っ白な墓石が三つ並んでいた。それはやはり日本の様式ではないものだった。 「暑い」 本当に暑い。地球の温暖化は七年前から進む一方だった。エントロピーの増大に同じくして、それは誰にも止められないのだ。 岬に立って、俺は海洋を眺望した。 ブルーとだけ呼ぶにはあまりにも短絡的な、折り重なった色相による水面がどこまでも続いていた。 それは緑色にも、水色にも、紺色にも見えた。ラピスラズリ、群青、パーマネントグリーン。青から緑のあらゆる色を内包しているようだった。 ワールズ・エンド――。 世界の果てがこのような場所であったなら、それはどんなにか素敵なものかもしれない。そう思った。 高二の秋、涼宮ハルヒはすべてを知覚した。 もともと彼女はすべてを持っていたと言っても過言ではなかった。確かに彼女は万能であり、世界に偏在するあまねく総ての概念、場面、情景を知っているようですらあった。 「そうだったのね」 すべてを知ったハルヒはそう言った。 「何となく、そう告げられる日をあたしは待っていたような気がするの」 ハルヒの瞳は海の底を思わせた。しかしそれは底のない底であった。深遠のそのまた向こう。 「古泉くんもみくるちゃんも有希も、みんなあたしを見守っていてくれたのね」 「そうさ」 それは素晴らしい日々だった。そこにはすべてがあった。 時にカマドウマが現れ、壮年男性が死んだ振りをし、猫が殺されたことになり、先輩が誘拐され、世界が冬とともに一変し、時間を遡り、短冊に祈った。 すべてはハルヒが俺に見せてくれた風景であった。 そこには純粋理性批判もプロパガンダもトートロジーもマクロ経済も超ひも理論もファシズムもなく、ちっぽけな団がひとつだけあった。 「そして、みんな去っていった」 「そうだな」 ハルヒは泣いてもいなければ笑ってもいなかった。俺はそれが終わりなのだと知り、始まりなのだと悟った。 「キョン。あなたが好きよ」 ハルヒは俺が言葉を返す間もなく抱きつき、キスをした。 俺はただハルヒを抱きしめて、もう一度キスを返した。 それがすべての終わりだった。一年半に渡る物語の。 俺はあらためて海を眺め、ハルヒのことを考えた。 あいつはどこへ行ってしまったのだろう。新しい世界へ旅立ったのだろうか。 それは生でも死でもない場所かもしれない。地球でもなければ太陽系でも銀河系でもなく、宇宙の外ですらないかもしれない。 しかしハルヒはどこかにいるのだ。 そして、必ず戻ってくる。 俺はそう信じ、願い、祈っていた。 そこにはなんの疑念も生じることはなく、あるいは永遠のようなものが存在していたかもしれない。 俺はあるものを海に放った。 それはあの頃、ハルヒがハルヒであったことの証だ。 そこには油性マジックで団長と書かれている――。 9 また電話が鳴った。 海に行った日から二年が経過し、俺は職場も住居も変わってしばらくした頃だった。 懐かしいような気分で受話器を取った俺は、聞こえてくる声に耳をすませた。 『もしもし。キョンたんですか――』 切った。 ノー・グッドだ。リテイクをする必要がある。 10 電話が鳴った。 俺は雑誌をガラステーブルに置き、ソファから立って受話器を取った。 『もしもし。キョン?』 間違えようはずもない声が耳朶を打った。 不思議なことに、その瞬間、生まれてから二十数年間の記憶がすべて、正しく、鮮明に思い出せる気がした。 それは精微な彫刻のようであり、バロック様式の建築物のようであり、鉱脈を掘って得られる宝石のようであった。 「ああ。俺だ。ハルヒ、元気だったか?」 クスッと笑う気配がして、 『ええ、もちろんよ。元気すぎて困っちゃうくらいよ。今すぐあなたに分けてあげたいわ。早速だけど団長命令、今すぐここに向かえにきて』 俺は肩をすくめて、久しぶりの言葉を発した。 やれやれ。 「いいけど、今どこにいるのさ」 『それがね、ちょっと解らないのよ。あたし、この数年の間にちょっと方向感覚とか、そういうのに疎くなっちゃったのよね。解る? この感じ』 「ああ。解るとも」 しょうがない。 俺は早速そばにあった財布を取り、ハンガーから薄手の上着を一枚ひっつかんだ。 『なるたけ早く来なさいよ。遅刻したらどうなるか解ってるでしょうね』 もちろんだとも。 俺は受話器を置くと上着をはおり、夏の下へ続く扉を開けた――。 (おわり)
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青春十八切符というものをご存知だろうか。 日本全国のJRの普通列車に乗り放題できてしまうこの切符、こんな名前でありながら 実は年齢制限はなし、代わりに子供割引も無し。1枚で1日有効×5回分の11500円という 有効活用する事ができれば実にお得な旅券である。 何を急に言い出したのか、なんて思ってる人もいるかもしれないな。 実は今、俺の手元にはその青春十八切符が握られている。五枚綴りのチケットは残り1枚 だけ残っていて、俺の前と隣、斜め向かいに座っているそれぞれの手の中にあるはずだ。 揺れる車内で眠気に誘われながらも硬い座席では眠る事もできない。 古泉、次の目的地まではあとどのくらいなんだ? 「あと、1時間程はかかりそうですね」 お決まりの営業スマイルにため息で答えつつ、俺は再び車窓からの眺めに視線を戻した。 もうわかっていそうなもんだが俺達は今、電車で移動中だ。 一緒に行動しているのは、対面の席でこの状況の何が楽しいのかわからんが微笑を 浮かべる古泉。 その隣で壁にもたれながらうつらうつらとしている朝比奈さん。 最後に、俺の隣で読書中の長門。以上、終わり。ああ、あと俺か。 そう、ハルヒは一緒に来ていないんだ。 来て貰っても困るからな。 「退屈そうですね」 まあな。 かれこれ3時間以上こうして普通列車に乗ってるんだ、飽きない方がどうにかしてる。 「では、何かお話でもしましょうか?」 そう言ってくれるのは嬉しいが、お前の話は聞き飽きた。 「でしたら……そうですね、貴方と涼宮さんのお話、なんてどうです?」 俺とハルヒ? 世間話をするにしても当たり障りの無い話題しか話さないお前にしては珍しい じゃないか。いいぜ、聞かせてもらおう。 座りなおして聞く体制に入った俺を見て、古泉は口を開く。まあその内容は、どうでもいい 事ばかりだったので割愛し、俺達の現状を説明しようか。 事の始まりはそう、俺にかかってきた一本の電話からだった。 「お休みの所すみません」 こいつがそう言い出した場合、高確率で俺は面倒な目に合う。 だから俺は返事をする前に携帯を切ろうとし、指を電源ボタンに触れさせた所で何とか 思いとどまった。 「もしもし、もしもし?」 すまん古泉、電波が悪いんだ。なんせ田舎に居るんでな。 「お気になさらないでください。手短に言います、手を貸していただけないでしょうか?」 ここで何をだ? なんて聞いてしまえば断るに断れなくなるのはわかってる。でもまあ仕方ない、 電話から聞こえる古泉の声は切羽詰ってるようだし聞くだけ聞いてみようか。 しばらく躊躇って、ついでにため息一つついてから俺はしぶしぶ呟いた。 内容による。 結果、やはり断るに断れなくなっちまったよ。 ハルヒ曰く、それは二ヶ月遅れの五月病である。 コンピ研の部長氏失踪事件が無事解決した直後、長門はSOS団のHPに不幸にもアクセス してしまった被害者の対応に追われていた。その殆どは北高の生徒だった為すぐに対処できた らしい、しかしどんな検索結果で辿り着いたのか知らないが全く関係のなさそうな場所からの アクセスも僅かながら存在した。 その内の一つへ向かっていた長門から古泉に電話があったらしい。 「僕も長門さんから聞いた話ですので詳しい事は彼女に、すでに現地近くに居るそうです」 まあな、俺も長門の頼みだって事なら行かないわけはないさ。田舎で遊ぶのもそろそろ飽きて きてた所だからな。でもな……もう一度言ってくれ、場所はどこだって? 「岩手県の花巻だそうです」 ……外国じゃなかっただけよかったのかね、これは。 そして夏休みも始まって一週間程過ぎた現在、長門と合流したハルヒを除くSOS団のメンバーは のんびり電車に揺られてるって訳さ。 どうやら眠ってしまったらしい壁際で揺れる朝比奈さんに視線を向ける。 俺としては何も朝比奈さんまで巻き込まなくてもいいと思うのだが「本人曰くこれもお仕事ですから」 との事だ。未来人には夏休みなんて物はないのかね? 今度大人の朝比奈さんに会った時にでも聞いてみるか。 「……とまあ、簡単でしたが、僕の視点における涼宮さんと貴方の理想的関係は以上です。ここで 重要なのは貴方と涼宮さんではなく、涼宮さんと貴方の関係だ、という点です」 ああ、お疲れさん。おもしろかったよ――聞いてなかったけどな。 ようやく終わりかけたのに再び始まろうとした古泉の話を乾いた拍手で遮りつつ送りつつ、俺はまた 窓の外へと視線を向けた。 視線の下、窓際に座った長門が読んでいた本を閉じる。それがスイッチだったかのように電車は 減速をはじめ、やがて駅へと滑り込んで行った。 あ~空気が昨日と同じで美味い! なんて皮肉を言ってもはじまらないな。 殆ど無人駅と思えるような駅を出た俺達は、長門の先導でさっそく町を歩き始めた。 ここまで長門からは詳しい説明はなく、ただついてきて欲しいとの一言のみ。 先頭を進む小柄な同級生の背中を見ながら、俺は小さくため息をつく。それは不満からではなく、 こんな形だが長門が人を頼る事を覚えてきた事が嬉しかったからさ。 「あ、キョン君キョン君! これ私知ってます! 学校で習いました!」 それまでほんわりとついてくるだけだった朝比奈さんが急に興奮しだしたのは、小さな公民館の様な 建物に着いた時の事だった。入り口の壁に書かれた文字を指差して朝比奈さんは大喜びのご様子。 はいはい、今行きますよ~。 遅れ気味で歩いていた俺と古泉も足を早めてその建物に近づく。 ああ、なるほど。朝比奈さんが興奮するのも少しわかるな。 みんなも知ってると思うぜ? そこには、宮沢賢治記念館と書かれていた。 誰も居ないのか? 夏休みだというのに、その建物の中には誰の姿も無かった。入り口には休館中の札は出てなかったと 思うんだが。 「……気をつけて下さい」 何故か小声で、ついでにやけに近い位置で古泉が囁く。お前いつのまに近寄ってたんだ。 「キョン君これ! 凄いですー! 銀河鉄道の夜の自筆の原本って!」 凄いですね~。 楽しそうな朝比奈さんはとりあえずおいといて、だ。 気をつけろって……何にだ。 「詳しいことはまだわかりません。ですがどうやら、ここはすでに通常の空間では無いようです」 そうか、頑張ってくれ。俺が気をつけた所でどうにもならない。 「了解です、とにかく僕か長門さんから離れない様にお願いします」 突き放しておいてなんだが、お前も大変だな。 足手まといにしかならない俺は、やっぱり来なかった方がお前は楽だったんじゃないのか? 「そう言ってもらえるだけで本望です」 やけに嬉しそうに微笑み、古泉は周囲の警戒に戻って行った。 さて、俺はどうすればいいんだろうな? 建物の中に入ってからというもの、長門はピクリともせず目の前の空間を見つめたままで 固まっているし、朝比奈さんはここへ来た目的などすでに覚えていらっしゃらないらしく熱心に見学中だ。 一般人を自負する俺としては……そうだな、何の役に立たないだろうが古泉に付き合ってやるとするか。 展示物の前から動きそうにない朝比奈さんを長門に頼み、俺は古泉と一緒に建物の奥へと進んできていた。 「僕と一緒でよかったんですか? 長門さんの所で朝比奈さんと一緒に待っていても良かったんですよ」 そうだな、俺もそう思う。 だからといって、お前ばっかりに働かせるってのも何か悪いだろ? 「ですが、正直ありがたく思っています。機関でも任務の関係上、僕は単独行動ばかりだったので、 誰かに一緒に居てもらえると心強いものです」 そうかい。 何故か照れ笑いを浮かべる古泉を眺めながら歩いていると、その変化は突然訪れた。 照明の少ない薄暗かったはずの通路は急に明るくなり、コンクリートだったはずの壁と床は姿を消して変わりに そこにあったのは……まじかよ、これは。 足元の床からはごとごとごとごと、俺と古泉が歩いていたはずの通路は今はどう見ても古い列車の中で 乗っている俺たちだけ。しかもどうやらこの列車はどこかへ向かって走りつづけているようだった。 通路沿いには小さな黄いろの電燈のならんだ車室が並び、その一つの扉が開いている。 「これは……どうやら罠にかかってしまったみたいですね」 そうだな。で、これはあの扉に入れって事だと俺は思うんだがどう思う? 「ここまで大掛かりな罠を仕掛けておいて危害は加えてこない、現状を見る限りは相手の意図にそって行動した 方が無難だと、僕も思います」 いや、俺はそこまで深く考えての発言じゃなかったんだがな。でもまあ、何故か知らないが俺はここが危険な 場所だとは思えないんだ。 驚いた顔で古泉は周りを見回す、そして確かめるように俺に肯いた。 「……そうですね、確かに敵意は感じられません」 車室の壁を見てただ立っていてもはじまらない、俺は一つだけあいていた扉の中へと入っていった。 部屋の中は、座席が二つと二段になった寝台があるだけのこじんまりとした作りだった。ただ、部屋の内装は 凝った内容で車室の中は、青い天鵞絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向こうの鼠いろのワニスを塗った 壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っていた。 なあ古泉、俺は嫌な事を一つ思い出したんだが聞いてくれるか? 「はい。何でしょう」 頭の中の思い付きをまとめながら狭い部屋の中で俺は落ち着き無く歩き回る。 俺は今更ながらここが何なのか思い当たってしまった、もしもそれが正解なら全財産を払ってでもこの列車に 乗りたいという人も居るだろうし、頼むからこの列車には乗せないでくれって嘆く人もいるだろう。 ちなみに俺は後者だ。 なあ古泉、この列車はもしかして……銀河鉄道って奴なんじゃないか? 一瞬目を見開く古泉、そしてすぐに車窓へと近づくとそこには真っ暗な暗闇とところどころ光っては消える輝きが どこまでもどこまでもどこまでも……やっぱりか! 逃げるぞ古泉! 「え、どうしてですか? これが銀河鉄道なら機械の体をただで貰える星に」 違う! お前が言ってるのは別の銀河鉄道だ! 急いで車室を飛びだした俺はそのまま列車の進行方向をは逆方向へ走り出した。 「待ってください、何故そんなに慌ててるんです?」 いいか、銀河鉄道には色んな解釈があるんだ。それはただの空想旅行って説もある、他には実際の旅行に 空想要素を加えた物だとかな。 どんどん最後尾へ向かって車両を走り抜けていくが、中には誰の姿も無かった。それが俺の不安をさらに煽って いく。 「それが……何かまずいんですか?」 なあ古泉、部長氏の時の事を覚えているか? 「コンピ研の部長さんですか? ええ覚えています」 SOS団のシンボルマークを見て、あの人の心の中で恐怖の対象だったカマドウマガが異世界に居た。じゃあ この列車がもしも、この建物に居た誰かが感じた恐怖の対象だったとしたらどうだ? 「この列車が恐怖の対象?」 ああ。銀河鉄道のもう一つの解釈、それは死者を送る列車だ。 古泉、お前の絶句する顔なんてはじめてみたぜ。できれば見たくなかった、やっぱりお前はいつも余裕でいて くれないとこっちの精神が安定を保てない。 ついに最終車両に辿り着いてしまった、最後部の扉の窓の先には漆黒の闇があるだけで何一つ見る事はできない。 「下がってください!」 その言葉に俺は走る速度を落とし、いつのまにか赤く光る弾を掴んでいた古泉に先を譲った。 勢いよく投げつけられた赤い弾は最後尾の扉をいともたやすく粉砕し、闇の中へと消えていく……。 出来上がった空間で俺達が見たのは、星ひとつ無くただ真っ黒なだけの空間だった。当然足元にあるはずの 線路も見えない。 「聞こえる?」 その声は、列車の中に取り付けられたスピーカーから聞こえてきた。誰であろう俺がその声を間違えるはずは 無い。 長門! ここに居るのか? 「居ない。ついさっきまで貴方と古泉一樹の存在はこの世界から消えていた、貴方は今私とは違う世界に居る」 それって……ああ、古泉が扉を壊してくれたからか。 「長門さん、どうやら彼と僕は誰かの罠に閉じ込められてしまったみたいなんです。助けてもらう事はできませんか?」 「……今やっている。でも、後数分時間が必要。それまで、その空間で決して恐怖抱いてはいけない」 恐怖するなって……俺達がか? 「そう」 はっきり言おう、俺はあの車室を飛び出した時からびびっていて今もそうだ。 だからずっと迷信や恐怖体験なんかを思い浮かべてしまっていたし、明確にイメージもしてきてしまった。 ……ずしん。……ずしん。 「……何か、聞こえましたか」 ああ。 ……ずしん。……ずしん。……ずしん。 その音は先頭車両の方から聞こえてきていて、徐々に大きくなってきている。 「えっと、その」 皆まで言うな、間違いなく恐怖したのは俺の方だ。ついでに言えば何を考えていたのかも思い出せる。 ……ずしん。…ずしん。ずしん、ずしん。 「参考までに、どんな物を思い浮かべてしまったんですか?」 額に汗を浮かべつつ、再び赤い弾を作り出した古泉が聞いてくる。 聞いて笑えばいい、俺は最初あれが大好きだった。でも今はあれが怖い。 ずしん、ずしん、ずしん。……どっどっどっどっどっどっどっど! その足音? はついに走る音へと変わり、連結部の窓の向こうにその姿がぼんやりと見えてきた。 そいつが何なのか聞きたいんだな。 「ええ」 俺が怖いのはな、世間的には子供のアイドルなんだが、ネットの中では本当の解釈って奴を夏になるたびに 議論されている架空の生き物。名前は… 俺達とそいつを塞ぐ最後の扉が叩き壊された瞬間、そいつは自分の名前を叫んだ。 「ドゥオ! ドゥオ! ……ヴォロー!」 トトロだ。 巨大な灰色の熊の様でいて、愛らしい瞳。ウサギの様な耳に小動物のような鼻。そうだな、妹が見れば即座に 抱きついているだろうよ。そいつはどこまでもトトロだった。 「こ、これが怖いんですか?」 ええい笑うな、そして油断するな。 「え?」 驚いた顔で固まっていた古泉を掴んで後ろへ飛ぶ。一拍後、俺達が居た床にトトロの前足が突き刺さっていた。 「な、なんでトトロが凶暴なんですか? 大人しくて優しい生き物なんじゃ」 そうだなその意見が普通だ、俺がひねちまってるんだろうよ。 古泉、簡単に言うぞ。あれが俺の想像の中のトトロならあれは死神だ。 「え、なんです? 死神?」 そう、職業的な意味じゃなくて本質的な意味でな。そんな解釈をしている奴らも居て、俺はこの列車が銀河鉄道 だったら死神がいるんじゃ? って考えちまったんだ。 どうやらトトロは、俺達が居るのが最終車両だと気づいたようだ。逃げられる心配がなくなったのか、巨体を揺らして じりじりと俺達と距離を縮めてきている。 古泉、こんな時にどうでもいい事だがな。 「なんでしょう?」 お前、ハルヒの事が好きなのか? 「え?」 張り詰めていた古泉の顔から緊張が消える。 悪かったなこんな時に変な事を聞いて。 「……気になります、か?」 どうだろうな、とりあえずここは沈黙で返しておくとしよう。 「ここから無事に戻れたら、お教えします。約束します」 笑顔を取り戻した古泉の手から赤い弾は放たれ、弧を描いてトトロへと襲い掛かった。一瞬で到達したその弾は トトロの腹にめり込んだものの、そのまま何事も無かったかのように消えてしまう。 やっぱりこいつは死神だ。俺達を見て、トトロは確かに微笑んだ気がした。 おいおい、絶対絶命かよ? どうにもならない現状に逃げ出したい所だが、逃げ道も隠れる場所もありゃしない。 そんな窮地を救ってくれるのはやり…… 「後少し」 突然響いた長門の声に、トトロは驚いて後ろを振り向いた。しかし声の主の姿は見つからず、苛立つように椅子の陰や 壁を叩き出している。 いいぞ、そのまま俺達の事は忘れていてくれ? いくつかの椅子が原型を留めない程に壊された後、トトロは苛立ちをぶつける相手を変える事にしたようだ。 今度は追い詰めるなんて悠長な動きじゃない、のしのしと巨体を揺らして一気に近寄ってくる。 どうする? ってどうしようもないんじゃないのか? 反撃の手段も逃げる出口も見つからないまま、俺達はとうとう車両の最後尾まで追い詰められてしまった。 すぐ後ろの空間からは列車の走る音がやけに大きく聞こえてきて、俺は思わず近くにあった壁を強く掴んだ。 なあお前、俺達が落ちたらお前の食事はなくなるんだぞ? なんて説得が通じそうな相手にはどう考えても見えない。 「間に合った」 その言葉が聞こえた時、俺達とトトロとの距離はすでに5メートルもなかった。 長門! どうすればいいんだ? トトロの鼻息が聞こえそうな状態で、息を殺して長門の続く言葉を待つ。 「そこから飛び降りて。今すぐ」 え、今なんて。 思わず振り向いた先には、やはりインクを零した様な闇が広がっているだけだった。 「聞こえなかったんですか? ここから長門さんはここから飛び降りる様に言っています」 俺の手を握り締める古泉、ええい変な笑顔を浮かべるんじゃない。 とびかかってきたトトロの手から逃れるように俺と古泉は後ろに飛びのき、地面との接点を失った体は 暗闇の中へと吸い込まれていった。 一瞬で小さくなる電車からもれる光、そして天へと登っていく銀河鉄道。 ――いつか、俺もあの列車に乗る事になるんだろうか? まあそいつはまだまだ先のはずだ、トトロ恐怖症は その時までに直しておけばいいよな。 エピローグ 「あ、お帰りなさい」 何事も無かった様な顔で俺と古泉が戻った時、笑顔の朝比奈さんは、俺達と別れた場所から一歩も動いておらず、 長門も首の向きを変えただけでやはり立ち位置に変化は無かった。 「中の様子はどうでした? 何か見つかりました?」 そうですね、ここって意外と怖い所でしたよ。 「え、そ、そうなんですか?」 ええそりゃもう、しばらくジブリの映画は見れそうにありませんね。 顔中にクエスチョンマークを浮かべる朝比奈さんを古泉に任せて、俺は長門の元へと歩いていった。 ありがとうな。 「今回の出来事は私のミス。危険度はもっと低い場所だと考えていた」 めずらしく落ち込んでいる長門の頭をぽんぽんと撫でてやる。 気にすんな。それで、もうここは大丈夫なのか? 「大丈夫、行方不明だったこの建物の館長は自宅の自室で目を覚ました所」 ここでも用事は終わったのだろう、長門は古泉に小さく肯いてみせてそのまま出口へと歩いていく。 なるほどね。……なあ長門、一つ聞いてもいいか? 「何」 ここの館長は、何で銀河鉄道が怖かったんだ? 俺みたいな経緯で変な知識を仕入れてしまったって事なのかね。 しばらく沈黙した後、静かな口調で長門は呟いた。 「館長が銀河鉄道を恐れた理由は本人にしかわからない。ただ、あの銀河鉄道はこの世界にも実在する」 ちょうど外に出たところだった俺は思わず空を見上げた。 ……長門、あんまりびびらせないでくれ? そこには夕焼けに染まりかけた空があるだけで、他には何も見えなかった。 銀河鉄道の夜 トトロ ハルキョンについて語る古泉 終わり その他の作品
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しかめっ面の女の子は、いつも、しかめっ面をしていました。 しかめっ面の女の子には、いつも、まぬけ面の男の子がついて歩いていました。 しかめっ面の女の子は、あるとき、右腕をぶんと男の子の方に投げ出しました。 「どうした?」とまぬけ面の男の子は尋ねます。 「腕が重い!疲れたの! 見れば分かるでしょ!」と女の子は言いました。 まぬけ面の男の子は、やれやれ、とつぶやいてこう言いました。 「しかたないな。そんなに重いなら持ってやる」 こうしてしかめっ面の女の子は、まぬけ面の男の子と、手をつなぐことができました。 しかめっ面の女の子とまぬけ面の男の子がしばらく歩いて行くと、女の子は突然立ち止まりました。 「どうした?」とまぬけ面の男の子は尋ねます。 「足が重い!疲れたの! 見れば分かるでしょ!」と女の子は言いました。 まぬけ面の男の子は、やれやれ、とつぶやいてこう言いました。 「しかたないな。そんなに重いなら持ってやる」 こうしてしかめっ面の女の子は、まぬけ面の男の子に、お姫さまだっこしてもらうことができました。 それから、しかめっ面の女の子とまぬけ面の男の子が、またしばらく行くと、女の子は突然、真っ赤になりました。 「どうした?」とまぬけ面の男の子は尋ねます。 「の、のどが乾いたんだけど」と女の子は言いました。 まぬけ面の男の子は、やれやれ、とつぶやいてこう言いました。 「しかたないな」 まぬけ面の男の子は、女の子を降ろして、近くに水を汲みに行きました。 女の子はもくろみがはずれて、地団太(じだんだ)を踏みました。 「どうした?」 水を汲んで帰って来た男の子が尋ねました。 女の子は、真っ赤な顔で口をかたく結び、じっと男の子の顔に穴が空くまで見つめました。 男の子は、不思議そうな顔して女の子を見ていました。 女の子は、男の子の顔があまりにまぬけ面だったので、相手と自分への怒りも忘れて、ぷっと吹き出してしまい、とうとう大きな声で笑い出しました。 まぬけ面の男の子も、少し困ったような笑みを浮かべました。 こうして、しかめっ面の女の子は幸せになりました。今日も幸せだと思います。